トップ
>
元就
>
もとなり
ふりがな文庫
“
元就
(
もとなり
)” の例文
両軍というのは、主すじの大内義隆を殺した
陶晴賢
(
すえはるかた
)
の反乱軍と、一方は、「主のとむらい合戦」をとなえて起った毛利
元就
(
もとなり
)
の軍である。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
豊臣秀吉、徳川家康、織田信長、毛利
元就
(
もとなり
)
、北條早雲、北條
氏康
(
うぢやす
)
、伊達政宗、武田信玄、小早川隆景、長曾我部
元親
(
もとちか
)
、
蒲生氏郷
(
がまふうぢさと
)
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
前に言う通り、秀吉や、家康や、氏郷や、
元就
(
もとなり
)
でなければ、人物が無いと思っている者たちのために、もう少し永徳の
後談
(
ごだん
)
を語らなければならない。
大菩薩峠:31 勿来の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
されば当時の武将たちが彼等を間牒に放った例は諸書に散見するのであって、分けても
陶晴賢
(
すえはるかた
)
がめくら法師を間者として毛利
元就
(
もとなり
)
の行動を知ろうとした話は、最も人口に
膾炙
(
かいしゃ
)
している。
聞書抄:第二盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
「最所治部めが
叛
(
そむ
)
いたそうな。毛利
元就
(
もとなり
)
へ
款
(
かん
)
を通じ俺に鋒先を向けるそうな」
郷介法師
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
▼ もっと見る
然
(
しか
)
りといえども
乃祖
(
だいそ
)
元就
(
もとなり
)
、
寡兵
(
かへい
)
を
提
(
ひっさ
)
げ、
陶賊
(
とうぞく
)
を
厳島
(
いつくしま
)
に
鏖
(
みなごろし
)
にしたる、当年の
覇気
(
はき
)
豈
(
あ
)
に
悉
(
ことごと
)
く消沈し去らんや。天下一朝動乱の機あれば、先ず徳川幕府に向って楯を突くものは、長にあらざれば必らず薩。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
元就
(
もとなり
)
以来の蓄積がものをいっとるし、それに現主の輝元はともかく、
吉川元春
(
きっかわもとはる
)
といい
小早川隆影
(
こばやかわたかかげ
)
といい、そう甘くは見られん。各〻雄才だ
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その武田も
長篠
(
ながしの
)
の一敗に
屏息
(
へいそく
)
し、西国の毛利も、このところ一戦一退のみをつづけ、加うるに
元就
(
もとなり
)
以来の保守主義もあるので、果たして
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「あの奥方は、さすがに毛利
元就
(
もとなり
)
様の血をうけ、御妾腹から出たお方ではありますが、賢夫人であると、評判のよいお人です」
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
元祐の妻としては、反感をいだいている日幡の郎党も、この婦人が、毛利
元就
(
もとなり
)
の血をうけた妾腹の子であることは知っている。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
智略縦横の人小早川
隆景
(
たかかげ
)
、
沈勇才徳
(
ちんゆうさいとく
)
の人
吉川元春
(
きっかわもとはる
)
。——こうふたりは
亡父
(
ちち
)
元就
(
もとなり
)
の偉大な半面を公平に分け合って持っていた。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「旺んです。
元就
(
もとなり
)
以来、分を守って、かたく国内の強化に励み、富は越後の上杉や、山国の武田家などの比ではありません」
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
西国の雄
元就
(
もとなり
)
は、おのれを知って、子孫に守るを
訓
(
おし
)
えて世を終え、そのほか浅井朝倉は当然の自滅をとげ、何人かよくこの大くくりを成し遂げて
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
加うるに、その豊かを内にもちながら、故毛利
元就
(
もとなり
)
が遺訓はまだ一族に生きていますから、ただ武力
一途
(
いちず
)
でそれを絶滅せんなどは思いもよりません。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
せっかくながらわれら
元就
(
もとなり
)
公以来
恩顧
(
おんこ
)
のともがらは、敵に
凱歌
(
がいか
)
を売って一日たりと生きのびんなどという者は、匹夫の端に至るまで思いもしておりません。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また、この夏六月、死去されたが、中国の毛利
元就
(
もとなり
)
へも、同様、出兵をうながしておったらしい
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
元就
(
もとなり
)
も、聞いて、さっそく見ようということになった。光秀は、一日、吉田城へ上った。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
瀬戸内
(
せとうち
)
には、村上、
来島
(
くるしま
)
一族の水軍も味方にひかえ、大坂の本願寺衆とはかたく結び、
摂津
(
せっつ
)
そのほか所在の内応も少なくない。なんで
元就
(
もとなり
)
公以来の固い
地盤
(
じばん
)
が
揺
(
ゆる
)
ぎでもするものか。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そして、この微々たる家が、やがて信長、秀吉などの戦国時代にいたっては、かの毛利
元就
(
もとなり
)
や
輝元
(
てるもと
)
を生み、またその支流からは、
吉川元春
(
きっかわもとはる
)
、
小早川隆景
(
こばやかわたかかげ
)
らの輩出を見るのであった。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それは毛利方の
上原元祐
(
うえはらもとすけ
)
から秀吉へ宛てた幾通かの書簡である。
元就
(
もとなり
)
の
聟
(
むこ
)
たるこの人さえ内通しているという事実を見せるために恵瓊へ特に示したのだった。恵瓊はついに決意した。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
毛利家には、
元就
(
もとなり
)
の家訓があった。城を築く時、土台石に、その家訓を刻ませた。
茶漬三略
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まだ彼が幼少の頃、
安芸
(
あき
)
の安国寺を訪れた毛利
元就
(
もとなり
)
が、ひと目見て
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
毛利氏と尼子氏との
宿怨
(
しゅくえん
)
は、大永三年、尼子
経久
(
つねひさ
)
と毛利
元就
(
もとなり
)
との手切れ以来であるから——その間の興亡流血は、ことし天正六年まで、実に五十六年間にわたる悲壮な闘争をつづけて来たわけである。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
遂に
元就
(
もとなり
)
の遺訓まで持ち出して
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
で、主人の
元就
(
もとなり
)
に
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“元就(
毛利元就
)”の解説
毛利 元就(もうり もとなり)は、戦国時代の武将・中国地方(山陽道・山陰道)の武将・大名。毛利氏の第12代当主。安芸吉田荘現在の広島県広島県安芸高田市吉田町。の国人領主・毛利弘元の次男。
毛利氏の本姓は大江氏毛利氏は大江広元が四男・毛利季光に相模国毛利荘を譲ったことに由来し、季光を祖として、元就は広元の雲孫の玄孫にあたる。。正式な姓名は、大江 元就(おおえ の もとなり)。家紋は一文字三星紋。
(出典:Wikipedia)
元
常用漢字
小2
部首:⼉
4画
就
常用漢字
小6
部首:⼪
12画
“元”で始まる語句
元
元気
元結
元来
元禄
元來
元和
元氣
元亀
元金