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しうげふ
父さんは九つの
歳まで、
祖父さんや
祖母さんの
膝下に
居ましたがその
歳の
秋に
祖父さんのいゝつけで、
東京へ
學問の
修業に
出ることに
成りました。
が、
其上修業をさせるとなると、
月謝小遣其他は
宗助の
方で
擔任しなければ
義理が
惡い。
所が
夫は
家計上宗助の
堪える
所でなかつた。
月々の
收支を
事細かに
計算して
見た
兩人は
父の
存命中には、イワン、デミトリチは
大學修業の
爲にペテルブルグに
住んで、
月々六七十
圓づゝも
仕送され、
何不自由なく
暮してゐたものが、
忽にして
生活は一
變し、
朝から
晩まで
わたしはこれから
東京へ
修業に
行くところですが、この
棧橋まで
來るうちに、
金米糖も
大分すくなくなりました。
修業純ならず
駁雜學を
好む、
之を
中等と
云ふ
『
二人とも
東京へ
修業に
行くんだよ。』