中仙道なかせんどう)” の例文
慶長年代のころ、石田いしだ三成みつなりが西国の諸侯をかたらって濃州関ヶ原へ出陣のおり、徳川台徳院は中仙道なかせんどうを登って関ヶ原の方へ向かった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
旅立つ二人は、田舎武士の兄弟ふたりが、修行がてら、上方見物にでものぼるようなていに見せて、中仙道なかせんどう木曾路から、大坂へ潜行した。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今より中仙道なかせんどうへ参るから、路用の金を二十両ばかり出せとおどしつけまして、金をうけとるとすぐに逃げ出しましてござります
それも去年は東海道を通ったから今年は中仙道なかせんどうというように毎年巡業の道を変えた。君子は旅の大道芸人の稼業が決して好きではなかった。
抱茗荷の説 (新字新仮名) / 山本禾太郎(著)
昔四谷通は新宿より甲州こうしゅう街道また青梅おうめ街道となり、青山は大山おおやま街道、巣鴨は板橋を経て中仙道なかせんどうにつづく事江戸絵図を見るまでもなく人の知る所である。
その夜、板橋を始めにして、とりとめがたい物の響が、中仙道なかせんどう宿しゅく々をおどろかしながら伝わっていった。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
塩尻の停車場から原の南隅の一角をかすめて木曾路へ這入はいって行こうとするのである。道は旧中仙道なかせんどうの大路で極めて平坦である。左手には山が迫り、山の麓には小村が点在している。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
芸妓の罪障は、女郎の堅気も、女はおなじものと見えまして、一念発起、で、廻国かいこくの巡礼に出る。板橋から中仙道なかせんどう、わざと木曾の山路のさびしい中を辿たどって伊勢大和めぐり、四国まで遍路をする。
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
武田耕雲斎の同勢が軍装で中仙道なかせんどうを通過し、沿道各所に交戦し、追い追い西上するとのうわさがやかましく京都へ伝えられた時
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
きのう意気揚々と中仙道なかせんどうへ追っかけていったあのあばたの敬四郎なので、だから伝六は犬ころのように、玄関から座敷へ引きかえしてくると
この東京行きには、彼は中仙道なかせんどうの方を回らないで美濃路から東海道筋へと取り、名古屋まで出て行った時にあの城下町の床屋で髪を切った。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
東北路は山形二十万石の保科ほしな侯に、それから仙台六十四郡のあるじ伊達だて中将、中仙道なかせんどう口は越前えちぜん松平侯に加賀百万石、東海道から関西へかけては、紀州、尾州、ご両卿りょうきょう伊勢いせ松平、雲州松平
鉄道が今では中仙道なかせんどうなり、北国ほっこく街道なりだ。この千曲川の沿岸に及ぼす激烈な影響には、驚かれるものがある。それは静かな農民の生活までも変えつつある。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
五街道ごかいどうへの出入り口出入り口に、浪人改めの隠し目付け屯所とんしょなるものを秘密に設け、すなわち、東海道口は品川の宿、甲州街道口は内藤新宿ないとうしんじゅく中仙道なかせんどう口は板橋の宿、奥羽、日光両街道口は千住せんじゅ
飛騨ひだ国大野郡、国幣小社、水無みなし神社、俗に一の宮はこの半蔵を待ち受けているところだ。東京から中仙道なかせんどうを通り、木曾路きそじを経て、美濃みのの中津川まで八十六里余。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
中仙道なかせんどう口の板橋でござります!」
中仙道なかせんどうを乗って来た乗合馬車が万世橋まんせいばしたもとに着いた日のことが、他にも眼の療治のために上京する少年があって一緒に兄に連れられてその乗合馬車を下りた日のことが
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
中仙道なかせんどうはもとより甲州方面のことは万事手抜かりのないようにと仰せ出されたともしてあった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
江戸からの便たよりは中仙道なかせんどうを経て、この山の中へ届くまでに、早飛脚でも相応日数はかかる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そのわたしが兄たちに連れられて東京へ修業に出たのは十歳の少年のころでしたが、中仙道なかせんどうにはまだ汽車のない時分で、子供の足にも峠を三つも四つも越したことを覚えています。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
筑波つくば辺に屯集とんしゅうした賊徒どものうち甲州路または中仙道なかせんどう方面へ多人数の脱走者が落ち行くやに相聞こえるから、すみやかに手はずして見かけ次第もらさずち取れという意味のことがしたためてあり
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)