一介いっかい)” の例文
近江の蓮浄れんじょう、山城守基兼、式部正綱、等々々、一介いっかい平人ひらびとになって、無数の檻車かんしゃが、八方の遠国へ、生けるしかばねを送って行った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
恐らく佐助は鵙屋の暖簾のれんを分けてもらい一介いっかいの薬種商として平凡へいぼんに世を終ったであろう後年盲目となり検校の位を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
もしまた粟野さんも我々のように一介いっかいの語学者にほかならなかったとすれば、教師堀川保吉は語学的素養を示すことに威厳を保つことも出来たはずである。
十円札 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
此の一介いっかいの田舎出の青年は、社会的に有名な汝等の名誉と名誉の相殺をする事を敢ていとうものではないのだ。
彼が殺したか (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
御徒士町の研屋五兵衛は、一介いっかいの町研屋から身を起して、後には武具刀剣万端のこしらえを扱い、七間間口二軒建の店を張って、下町切っての良い顔になっておりました。
三田派みたはの或評論家が言った如く、その趣味は俗悪、その人品は低劣なる一介いっかい無頼漢ぶらいかんに過ぎない。
寺じまの記 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
まして私ごとき鐚一文びたいちもんの関係もない一介いっかいの僧侶が、国際上の事に関係したかのように思わるるのは味気あじけなき事と、余りの事に私はあきれ果ててしばらく何もいわずに居ったです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
しかし俺があの梶川悲堂をえらいじいさんだと感心したのは、ちっとも国賓みたいなえらそうな顔をしてないところだ。一介いっかいの支那メシ屋のおやじだといった顔をしている。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
予は一介いっかい嘱托しょくたく教授に過ぎなかったから、予の呼吸し得た自由の空気の如きも、実は海軍当局が予に厚かった結果と云うよりも、或は単に予の存在があれどもなきが如くだった為かも知れない。
艸木虫魚 (新字新仮名) / 薄田泣菫(著)
「まあ、一介いっかいのデリッタンティとでも、……」
渡り鳥 (新字新仮名) / 太宰治(著)
まだ秀吉が信長の草履をつかみ、うまやで馬と共に起臥きがしていた一介いっかい御小人おこびと時代から、彼はすでに織田家の重臣だった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
緑いろの鳥打帽とりうちぼうをかぶった、薄い痘痕あばたのある物売りはいつもただつまらなそうに、くびった箱の中の新聞だのキャラメルだのを眺めている。これは一介いっかいの商人ではない。
十円札 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
清国に通じ清国政府においてよくやってくれると仮定したところで——そういう事にするのも我々一介いっかいの僧侶としてはむつかしい事でありますけれども——チベットの実情を
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
此の恵み深い青年の左大臣は、一門の年長者たるの故を以て一介いっかい老骨ろうこつに結構な財宝をあまたゝび贈ってくれた上に、今度は自身その邸宅にげると云う光栄を授けてくれるのである。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
藤孝は、彼も自分も貧しい一介いっかいの浪人であった頃から、およそ光秀ほど、信頼していた人物はなかった。
その時分には一介いっかいの乞食坊主でありますから、今日ネパール国王の内殿から出て来たのを見て非常に驚いたのも道理です。大王殿下はまず献上の馬の善悪を見終ってから別段の長椅子に坐られた。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
どうしても一介いっかい愚直ぐちょくな農夫である。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
なおまだ、一介いっかいの奉公人にすぎなかったが、秀吉は、京都政治所でする日々の時務が実に楽しかった。忙しければ忙しいほど楽しまれた。その頃、彼が左右の者に
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
羽柴はしばと姓を名のって来た一介いっかい藤吉郎とうきちろうが、いつのまにか、今日の大を成し、声望も実力も、故信長以上のものを身に示して、いまや家康一人をのぞくほか、彼にたいして
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一介いっかい史生ししょうや蔵人も着かざったり、采女うねめや女房たちが、女御更衣にも負けずにえんを競ったり、従って、風紀もみだれ、なおかつ、廟議や政務にいたっては、てんで、怠り放題な有様である。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それが、まだ一介いっかい若僧にゃくそうにすぎない範宴が、いっぱいに眼へうつったことは
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)