かたむ)” の例文
自分はただちかごの中に鳥を入れて、春の日影のかたむくまで眺めていた。そうしてこの鳥はどんな心持で自分を見ているだろうかと考えた。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
主人の喜兵衞はそればかり心配して、親類や知己に頼んで、縁談の雨を降らせましたが、新助はそれに耳をかたむけようともしません。
すずめは、こころうちに、こんな不平ふへいがありましたけれど、しばらくだまって、こまどりの熱心ねっしんうたっているのにみみかたむけていていました。
紅すずめ (新字新仮名) / 小川未明(著)
原田氏はらだし星亨氏ほしとほるし幕下ばつか雄將ゆうしやうで、關東くわんとうける壯士さうし大親分おほおやぶんである。嶺村みねむら草分くさわけ舊家きうけであるが、政事熱せいじねつ大分だいぶのきかたむけたといふ豪傑がうけつ
「十三囘忌くわいき、はあ、大分だいぶひさしいあとの佛樣ほとけさまを、あのてあひには猶更なほさら奇特きとくことでござります。」と手拭てぬぐひつかんだを、むねいてかたむいて
月夜車 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
みゝかたむけると、何處いづくともなく鼕々とう/\なみおときこゆるのは、この削壁かべそとは、怒濤どとう逆卷さかま荒海あらうみで、此處こゝたしか海底かいてい數十すうじふしやくそこであらう。
凝然ぢつとしたしづかなつきいくらかくびかたむけたとおもつたらもみこずゑあひだからすこのぞいて、踊子をどりこかたちづくつての一たんをかつとかるくした。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
立とまっては耳をかたむけ、こたえなき声を空林くうりんにかけたりして、到頭甲州街道に出た。一廻りして、今度は雑木山の東側のこみちを取って返した。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
帆村が蹣跚よろめくのを追って、私が右にヨタヨタと寄ると、帆村は意地わるくそれと逆の左の方にヨロヨロとかたむいてゆくのだった。
西湖の屍人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
傷つけのろうようなかたむきがありにわかにことごとくを信ずる訳に行かない乳母の一件なども恐らくは揣摩臆測しまおくそくに過ぎないであろう。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
かたむけて見返みかへるともなく見返みかへ途端とたんうつるは何物なにもの蓬頭亂面ほうとうらんめん青年せいねん車夫しやふなりおたか夜風よかぜにしみてかぶる/\とふるへて立止たちどまりつゝ此雪このゆきにては
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
私はそのとなりのまだ空いている別荘の庭へ這入りこんで、しばらくそれに耳をかたむけていた。バッハのト短調の遁走曲フウグらしかった。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
もぐりの流行神はやりがみなららぬこと、いやしくもただしいかみとしてんな祈願きがんみみかたむけるものは絶対ぜったいいとおもえばよろしいかとぞんじます。
当の剣敵諏訪栄三郎にかたむきつくしていると知っては、丹下左膳の心中はなはだ穏かならぬものがあったことは言うまでもない。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
いったい「三つたましい百までも」というがごとく、何人なんぴとにも幼少の折、漠然とした職業選定のかたむきが心に備われるものである。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
見るさえまばゆかった雲のみねは風にくずされて夕方の空が青みわたると、真夏とはいいながらお日様のかたむくに連れてさすがにしのぎよくなる。
太郎坊 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
先に政権の独占をいきどおれる民権自由の叫びに狂せし妾は、今は赤心せきしん資本の独占に抗して、不幸なる貧者ひんしゃの救済にかたむけるなり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
平たきおもてに半白の疎髯そぜんヒネリつゝ傲然がうぜんとして乗り入るうしろより、だ十七八の盛装せる島田髷しまだまげの少女、肥満ふとつちようなる体をゆすぶりつゝゑみかたむけて従へり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
御主意ごしゆい御尤ごもつともさふらふ唱歌しやうかおもまりさふらふあさましいかな教室けうしつさふらふしたがつてこゝろよりもかたちをしへたく相成あひなかたむ有之これあり以後いご御注意ごちゆうい願上候ねがひあげさふらふ
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
〔評〕南洲人にせつして、みだりまじへず、人之をはゞかる。然れども其の人を知るに及んでは、則ち心をかたむけて之をたすく。其人に非ざれば則ち終身しゆうしんはず。
こんなすぐれたうたが、しかも非常ひじようたふと方々かた/″\のおさくてゐるにかゝはらず、世間せけん流行りゆうこうは、爲方しかたのないもので、だん/\、わるほうへ/\とかたむきました。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
と、いつのまにか、すみの方で議論ぎろんめいた口調で話すものがありましたので、一同は、言いあわせたように、口をつぐんで、その議論ぎろんに耳をかたむけました。
ジェンナー伝 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
皺嗄しやがれたほとん聴取きゝとれないほどこゑで、うたふのが何處どこともなくきこえた。わたしおもはずすこあゆみゆるくしてみゝかたむけた。
虚弱 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
そうしづかにはちのこつたみづゆかかたむけた。そして「そんならこれでおいとまをいたします」とふやいなや、くるりとりよ背中せなかけて、戸口とぐちはうあるした。
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
すると、「What's team?」といたような気がするので、「Boat Crew.」と答えますと、「What's?」と小首をかたむけます。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
すると皇子おうじはいきなり、そこでどしんと船をかたむけて、みことをざんぶと川の中へ落としこんでおしまいになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
いやしくも正義の士は心をつくし気をかたむけて崇拝する、それになんのふしぎがあるか、万人に傑出する材ありといえども弓削道鏡ゆげのどうきょうを英雄となし得ようか
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
そのSHがしばらくすると、つて彼方あなたたくまえつて、和服姿わふくすがた東洋人とうようじんらしい憂鬱ゆううつはじらひの表情へうぜうで、自作じさくうたひだした。みなれにみゝかたむけた。
微笑の渦 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
宗匠そうしやう景色けしきを見ると時候じこうはちがふけれど酒なくてなんおのれがさくらかなと急に一杯かたむけたくなつたのである。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
寄せ何か祕々ひそ/\さゝやきければ二人はハツと驚きしが三次はしばし小首をかたむ茶碗ちやわんの酒をぐつと呑干のみほし先生皆迄のたまふな我々が身にかゝる事委細承知と早乘が答へに長庵力を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
よっぽど西にその太陽たいようかたむいて、いま入ったばかりの雲の間から沢山たくさんの白い光のぼうげそれはむこうの山脈さんみゃくのあちこちにちてさびしい群青ぐんじょうわらいをします。
チュウリップの幻術 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
やがて寺の本堂ほんどうへついた。大きな屋根はち、広い回廊かいろうかたむきかけ、太い柱はゆがみ、見るから怪物の住みそうなありさまに、勘太郎も始めはうす気味悪くなった。
鬼退治 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
井泉村の助役の手紙を読んで、巻き返して、「私は視学からも助役からもそういう話は聞かなかったが……」と頭をかたむけた時は、清三は不思議な思いにうたれた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
かくて十年、家附きの娘は気兼もなく、娘時代と同様、物見遊山ものみゆさんに過していたが、かたむく時にはさしもの家も一たまりもなく、わずかの手違てちがいから没落してしまった。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
浅草観世音へ参詣し、賽銭を投げて奥山を廻り、東両国の盛場へ来たときには、日が少しかたむいていた。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
このやま近時きんじ淺間山あさまやま交代こうたい活動かつどうするかたむきをつてゐるが、降灰こうはひのために時々とき/″\災害さいがい桑園そうえんおよぼし、養蠶上ようさんじよう損害そんがいかうむらしめるので、土地とちひと迷惑めいわくがられてゐる。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
二人はならんで馬を歩ませていた。父は何やらしきりに彼女に話しかけながら、胴体どうたいをすっかり彼女の方へかたむけ、片手を馬の首についていた。父は微笑びしょううかべていた。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
若し僕がロマンチツクとかコケツトリイとか云ふやうなかたむきを持つてゐて、忠実な、頼もしい友人が、僕が死んだ跡で、余計な思慮を費すやうにしようと思つたなら
不可説 (新字旧仮名) / アンリ・ド・レニエ(著)
ぎ出し口を我か身の方に向け之に唇をれて器をかたむけ飮料を口中にそそみしものの如く思はる。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
若い男でございましたが感心な心掛けで暫く首をかたむけ、どうも私は今麦焦むぎこがしも何も持って居ないけれども一つこういう物があるからといって懐から出してくれたのが
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
それはつくるのに大へんほねが折れたし、得意とくいなものであった。自分がどんなに芸術家げいじゅつかであるか見せてやりたかった。ゴットフリートはしずかにみみかたむけた。それからいった。
ジャン・クリストフ (新字新仮名) / ロマン・ロラン(著)
どんなにったかれなかったが、心魂しんこんかたむけつくす仕事しごとだから、たとえなにがあっても、そのまではちゃァならねえ、きますまいとちかった言葉ことば手前てまえもあり
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
夫れ台所だいどころに於けるねづみ勢力せいりよく法外はふぐわいなる飯焚男めしたきをとこ升落ますおとしの計略けいりやくも更に討滅たうめつしがたきを思へば、社会問題しやくわいもんだいみゝかたむくる人いかで此一町内いつちやうない百「ダース」の文学者ぶんがくしや等閑なほざりにするをべき。
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
雲の多い午後が、陰暗いんあんな夕空明りへかたむいてゆく。階段の窓を叩く雨の音が、まだ聽え、邸の背後うしろ灌木林くわんぼくりんに風が騷いでゐる。私のからだは、だん/\に石のやうにつめたくなつて來た。
金泥きんでいそらにながしていろどつた眞夏まなつのその壯麗そうれいなる夕照ゆうせふたいしてこころゆくまで、銀鈴ぎんれいこゑりしぼつてうたひつづけた獨唱ソロ名手めいしゅそらとりはねをとどめてそのみゝかたむけた、ああ
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
そのうちだんだん日がかたむきかけて、みじかあきの日はれそうになりました。保名主従やすなしゅじゅうはそろそろかえ支度じたくをはじめますと、ふとこうのもりおくで大ぜいわいわいさわぐこえがしました。
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
指図役さしづやくのおかたでございますか、馬乗ばじようれいくだしてられます。四ツつぢところともつてりました電気燈でんきとうが、段々だん/\あかるくなつてると、したがつては西にかたむきましたやうでございます。
牛車 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
妻は心持ち首を左にかたむけたまま、かすかな寝息を立てて眠っていたが、その横に、産れ出る女の赤ん坊のために用意してつくった友禅ゆうぜん模様の小さい蒲団ふとんが敷いてあって、その中には
親馬鹿入堂記 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
玄竹げんちく今夜こんやつて其方そち相談さうだんしたいことがある。怜悧りこう其方そち智慧ちゑりたいのぢや。…まあ一さんかたむけよ。さかづきらせよう。』とつて、但馬守たじまのかみつてゐたさかづきした。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
晩餐ばんさんの時、ヘルンはいつも二三本の日本酒をさかずきかたむけながら、甚だ上機嫌に朗かだった。夫人や家族の者たちは、彼の左右にはべってしゃくをしながら、その日の日本新聞を読んできかせた。