黄葉こうよう)” の例文
林間に散っている黄葉こうようと、林梢りんしょうに群がっている乱鴉らんあと、——画面のどこをながめても、うそ寒い秋の気が動いていないところはない。
戯作三昧 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しかしこの女が墓の前に延び上がった時は墓よりも落ちついていた。銀杏いちょう黄葉こうようさみしい。ましてけるとあるからなおさみしい。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
南の枝にも梢にも、残る葉はなくて、黄葉こうようは唯北方に密集して居る。其裸になった梢に、はしの大きな痩鴉やせがらすが一羽とまって居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
金殿玉楼きんでんぎょくろうその影を緑波りょくはに流す処春風しゅんぷう柳絮りゅうじょは雪と飛び黄葉こうよう秋風しゅうふう菲々ひひとして舞うさまを想見おもいみればさながら青貝の屏風びょうぶ七宝しっぽうの古陶器を見る如き色彩の眩惑を覚ゆる。
木々が黄葉こうようを呈している。そこへ昼の陽があたっている。白々と見えるは白樺しらかばの幹だ。林では兎がはねている。こずえでは橿鳥かけすが呼んでいる。空気には立派なにおいがある。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
木立ちはいまさかんに黄葉こうようしているが、落ち葉も庭をうずめている。右手な神社のまた右手の一角にまっ黒い大石が乱立して湖水へつきいで、そのうえにちょっとした宿屋がある。
河口湖 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
背丈けが四、五寸にも達しないこれらの可憐なグイ松も、すっかり黄葉こうようしていた。
ツンドラへの旅 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
妻女山の黄葉こうようや緑や紅葉もみじをぼかしていた白い霧も、次第にれあがって、お互いの位置から、お互いの哨兵のうごきやつなぎ馬の影などが、眺め合えるくらいにまで大気が澄んで来たからである。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
黄葉こうようと枯枝の隙間すきまを動いてくる彼らのみちは、稲妻形いなずまがたに林のうちを抜けられるように、また比較的急な勾配こうばいを楽にのぼられるように、作ってあるので
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
晩秋の夕陽ゆうひを浴びつつ高田の馬場なる黄葉こうようの林に彷徨さまよい、あるいは晴れたる冬の朝青山の原頭げんとうに雪の富士を望むが如きは、これ皆俗中の俗たる陸軍の賜物たまものではないか。
その下へ来た時、先生は高いこずえを見上げて、「もう少しすると、綺麗きれいですよ。この木がすっかり黄葉こうようして、ここいらの地面は金色きんいろの落葉でうずまるようになります」
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
銀杏は黄葉こうようの頃神社仏閣の粉壁朱欄ふんぺきしゅらんと相対して眺むる時、最も日本らしい山水をす。ここにおいて浅草観音堂の銀杏はけだし東都の公孫樹こうそんじゅ中のかんたるものといわねばならぬ。
それをいろどる黄葉こうようの濃淡がまたあざやかな陰影の等差を彼の眸中ぼうちゅうに送り込んだ。しかし眼界のひろい空間に対している津田と違って、清子の方は何の見るものもなかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あるいは室を片づけてから、彼の来るのを待ち受ける間、欄干の隅にりかかりでもして、山にかさなる黄葉こうようの色でも眺めていたのかも知れなかった。それにしても様子が変であった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)