馬関ばかん)” の例文
馬関ばかんに来り虎病患者死せし頃は船中の狼狽ろうばいたとへんにものなく乗組将校もわれらも船長事務長と言ひ争そひて果ては喧嘩けんかの如くなりぬ。
従軍紀事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
釜山ふざんから馬関ばかんへ渡る船中で、拓殖たくしょく会社の峰八郎君みねはちろうくんの妻君にったとき、八郎君は真面目まじめな顔をして、これは夏目博士と引き合した。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
維新ぜん馬関ばかん砲撃に参加した英艦テイマア号が武装を解いて白く塗られ記念品として繋留してあるのを左弦に見つつ港内の中央に碇着ていちやくした。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
こいつはいけねえと、俺はシモノセキを——カバンのことだ、馬関ばかんの逆語だ、そのカバンを持ちかえて、その間に、ごまかしの言葉を考えて
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
攘夷戦争をおっ始めた長崎ならきっと仕官もできるだろうと、はるばる出かけてみれば馬関ばかん戦争に一敗したところで、仕官どころのさたでない。
志士と経済 (新字新仮名) / 服部之総(著)
「どうも小倉には御主人のお目に留まったものがなさそうだ。多分馬関ばかんだろうと思って、僕は随分熱心に聞いて廻ったのだが、結果が陰性だった。」
独身 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この間かえった。「ドウダエ馬関ばかんでは大変な事をやったじゃないか。何をするのか気狂きぐるい共が、呆返あきれかえった話じゃないかと云うと、村田が眼にかどを立て、「何だと、遣たら如何どうだ。 ...
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
馬関ばかん稲荷いなり町には、黄昏たそがれが来て、よいが来て夜更けが来て、そして喧嘩やら、奇兵隊節やら、ジャンジャカ三味線じゃみせんやら、ゆうべと変わらない疲れた眠気が下り、霜が下りる。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下関人の話によれば下関、馬関ばかん、広島、別府方面におけるふぐの商い高は年々六十万円を下らないと誇る。これを話半分にして三十万円のふぐが年々ひとの口に入るわけだ。
河豚食わぬ非常識 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
支那はもろくも敗れてわずかに半歳をでざるに、早くも李鴻章は馬関ばかんに派して和を請うに至った。これがかの有名なる馬関条約で、そして三国干渉の起ったのもこの時であった。
三たび東方の平和を論ず (新字新仮名) / 大隈重信(著)
尤も、故伊藤公の梅子夫人も馬関ばかんの妓、かつらかな子夫人も名古屋の料亭の養女ではある。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
瀬戸内の波いと穏やかに馬関ばかんに着きしに、当時大阪に流行病あり、ようや蔓延まんえんちょうありしかば、ここにも検疫けんえきの事行われ、一行の着物はおろか荷物も所持の品々もことごとく消毒所に送られぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
余談ですが、馬関ばかん春帆楼しゅんぱんろうかどこかで、伊藤博文公がお湯へはいった。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
何でも是公に聞いて見ると馬関ばかんや何かで我々の不必要と認めるほどの御茶代などを宿屋へ置くんだそうだから、是公といっしょに歩いて
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
馬関ばかん砲撃の七日前、さきの遣外鎖港使節一行が大急ぎで帰国した。パリでナポレオン三世政府との間に締結された仏幕秘密条約が手に握られていた。
尊攘戦略史 (新字新仮名) / 服部之総(著)
御隠居様も御姫様も中津なかつの浜から船にのっ馬関ばかんに行き、馬関で蒸気船に乗替えて神戸こうべと、すべての用意調ととのい、いよ/\中津の船に乗て夕刻沖の方に出掛けた処が生憎あいにく風がない
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
その他淑徳しゅくとくの高い故伊藤公爵の夫人梅子も前身は馬関ばかんの芸妓小梅である。山本権兵衛伯夫人は品川の妓楼に身を沈めた女である。桂公爵夫人加奈子も名古屋の旗亭香雪軒きていかせつけんの養女である。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
ある時用事が出来て門司もじとか馬関ばかんとかまで行った時の話はこれよりもよほど念がっている。いっしょに行くべきはずのAという男に差支さしつかえが起って、二日ばかり彼は宿屋で待ち合わしていた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)