重盛しげもり)” の例文
それを携えて宗清は、程近い小松殿——清盛の長子重盛しげもりの館を訪れた。そして禅尼の大慈悲心のあるところを重盛に会ってよく伝えた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
為朝ためともれいの二十八をつれて西にしもんまもっておりますと、そこへ清盛きよもり重盛しげもり大将たいしょうにして平家へいけ軍勢ぐんぜいがおしよせてました。
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
成経 重盛しげもり懇願こんがんしたからです。しかし結果は残酷ざんこくないたずらと同じになりました。ちょうど中をへだてた一つのおりに親子のけものをつなぐように。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
高野山には、父重盛しげもりの家来で、斎藤滝口時頼たきぐちときよりという侍が、今は出家して、滝口入道と名乗る立派なひじりになっていたのを頼っていったのである。
長男の重盛しげもりが忠義をもって輔佐しているゆえ、その暴虐にもかかわらず、まだ復讐ふくしゅうの時期に達していない。
遠く明治七年の河原崎座における「新舞台巌楠しんぶたいいわおのくすのき」の楠正成くすのきまさしげにはじまり、更に明治九年の中村座における「牡丹平家譚ふうきぐさへいけものがたり」の重盛しげもりに至って、いよいよその熱を高めたと伝えられているが
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「うん、君に忠ならんとすれば親に孝ならず、重盛しげもりはかわいそうだね」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
だが、次郎には喋舌しゃべるなよ。あいつ、おれの子にも似合わず、どうも重盛しげもりみたいに野暮でいけねえ、いつもおれのする事を
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一寸見廻しただけでも、長男重盛しげもりは、内大臣ないだいじん左大将さだいしょう、次男宗盛むねもりは、中納言ちゅうなごん右大将、三男知盛とももり三位さんみの中将、孫の維盛これもり四位しいの少将といった具合である。
康頼 それはきっと虚報きょほうでしょう。重盛しげもりが生きている限りはよもや成親殿なりちかどのを殺させはしますまい。自分の愛する妻の兄を! たとえ清盛きよもりが何と言いはっても。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
重盛しげもりがいくらいさめても清盛きよもりが改心しなかったのだね」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
もし重盛しげもり命乞いのちごいをしなかったら、女や幼い者さえものがれることができなかったでしょう。奥方は若君とひめ君とをとものうて鞍馬くらまの奥に身をおかくしなされました。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
相国の嫡子ちゃくしの小松重盛しげもりが左大将に、次男の宗盛むねもりが右大将に昇官して、徳大寺、花山院の諸卿をも超え、自分の上にも坐ったということが、何としても新大納言成親なりちかには
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「一年のとき、重盛しげもり諫言かんげんを読んだね」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
薔薇園しょうびえんの邸にいる子息の小松重盛しげもりは、それを聞くと、悲壮な決意をもって、父の清盛を訪ずれた。そして、面をおかして、重盛は、聖徳太子の古言をひいて、憤怒ふんぬの父をいさめた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あの清盛、重盛しげもり父子おやこなどにも、きょう自分たちの歩んだ千丈の雪と敗軍のみじめな道とを、踏ませてやらねば心の済むものではない。武門の長者として生ける面目があるものではない。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どうじゃ、何とみらるる、平家の暴状、しゃくではおざらぬか、忌々いまいましゅうは思われぬか、小松重盛しげもりを左大将に、これは、まあ我慢もなるとして、その次男坊の宗盛むねもり——木偶でくかんむりじゃ——猿にくつじゃ。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)