谿流けいりゅう)” の例文
その谷底まで下って行けば、土地の人にしか知られていない下坂川おりさかがわのような谿流けいりゅうが馬籠の男垂山おたるやま方面から音を立てて流れて来ている。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「人間の一生に」青木が谿流けいりゅうの中に持っていた杖の先をひたしながら云った、「こうした静かな行楽や、温い散歩が何度あるだろうか」
須磨寺附近 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
小さな谿流けいりゅうにかかった吊橋を渡って、その村の対岸にある栗の木の多い低い山へじのぼり、その上方の斜面に腰を下ろした。
風立ちぬ (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
そそり立つ断崖のあいだを、青々とした谿流けいりゅうが、様々の形の岩に激して、泡立ち渦巻きながら流れている。
白髪鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
今は路傍に美しい高山植物のたぐいこそ咲いてはいないが、山林、谿流けいりゅう、すべてが清麗で、顧みれば、四周まわりの深山の中には、焼岳の噴煙がおどろ髪のように立ちのぼる。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
花晨かしん可なり、月夕げっせき可なり、午烟ごえん可なり、夜雨やう可なり、いづれの時か俳句ならざらん。山寺さんじ可なり、漁村可なり、広野可なり、谿流けいりゅう可なり、いづれの処か俳句ならざらん。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
草をしとねとし石をたくとして、谿流けいりゅう縈回えいかいせる、雲烟うんえんの変化するを見ながら食うもよし、かつ価もれんにして妙なりなぞとよろこびながら、あおいで口中に卵を受くるに、におい鼻をき味舌をす。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ほの暗いうちに出てれてから帰る。往来ゆききとも黒谷の谿流けいりゅうに沿った杣道そまみちをとるので、まだ途中で人にであったこともないと云った。
泥棒と若殿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
山間の谿流けいりゅうの音にしばらく浮世を忘れた連の人達も、帰りの温泉宿では家の方の話で持切って、皆な妻子を案じながら帰って来たなどと話した。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
深い谷底を流れる谿流けいりゅうの音が、断崖に反響しながらさわやかに聞えてくる、森から森へなきうつる郭公の声は、それでなくてさえさびしい山中の静けさを
峠の手毬唄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
馬流まながしあたりからは、さすがの大河も谿流けいりゅうの勢いに変るのですが、川の中心が右岸のほうへひどくかしいでいるために、左岸には川底があらわれ、砂は盛り上がり
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一日じゅう碁譜を手に独りで碁石を並べたり、ときに尺八を吹いたり、すぐ前の谿流けいりゅうで魚を釣ったりしている。宿のほうは妻に任せたきりで、帳面を見ようともしなかった。
契りきぬ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
その間を流れる千曲川は大河というよりもむしろ大きな谿流けいりゅうに近い。この谿流に面した休茶屋には甲州屋としたところもあって、そこまで行くと何となく甲州に近づいた気がする。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
……よく晴れた日で、熟れた稲の穂波の上に、雀や百舌もずが騒がしく飛び交していた。道は遠かった、森をぬけ、丘をめぐり、細い谿流けいりゅう飛沫ひまつをあげている丸木橋を幾たびか渡った。
春いくたび (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
岸本に取っては縁故の深いあの隅田川すみだがわを一番よく思い出させるものは、リオンで見て来たソオンの谿流けいりゅうでもなく、清いセエヌの水でなく、リモオジュを流れるヴィエンヌでなくて
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
岸をさかのぼるにつれまして、さすがの大河も谿流けいりゅうの勢に変るのですが、河心が右岸の方へひどかしいでおりますので、左岸は盛上がったような砂底のあらわれた中に、川上から押流された大石がうずまって
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)