落首らくしゅ)” の例文
……もう町じゃ、その噂やら落首らくしゅやらで、あっちでもこっちでも、近頃にない気味のいいことだ、やったのは、町奴か、旗本か。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
余は半百年間散文に詩文に歴史に哲学に戯曲に落首らくしゅに余の思想を発表したり、しかしてなお余の心に存する千分の一だも言い尽さざりしを知る
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
文化のころの落首らくしゅにも『春の夜の闇はあぶなし槍梅の、わきこそ見えね人は突かるる』とか、又は『月よしと云えど月には突かぬなり、やみとは云えどやまぬ槍沙汰』
半七捕物帳:18 槍突き (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
正面から時代と闘うことは勿論もちろん、大きな声では批評もできず、諷刺ふうしわずかに匿名とくめい落首らくしゅをもって我慢する人々、大抵は中途で挫折して、酒や放埒ほうらつに身をはふらかす人々が
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
こういう時には何か一首うま落首らくしゅでもやって内所ないしょでそっと笑っているが関の山で御座います。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
地獄谷に真蘂とは、これは差向き落首らくしゅの種になりそうな。あのたぬき和尚、一思いに火の中へとは考えたが、やっぱり肩に背負って逃げだして、あとから瑞仙ずいせん殿に散々に笑われたわい。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
其の頃の落首らくしゅに「本所ほんじょうに過ぎたるものが二つあり津軽大名炭屋鹽原」と歌にまでうたわれまして、十万石のお大名様と一緒にたとえられます位になる其の起源おこりは、わずかの端銭はしたぜにから取立てまして
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
彼が上洛した日にも、辻には、その幻の敵のわざらしいものを見た。それは暗に彼の悪政を歌った落首らくしゅの立て札であった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五渡亭国貞は「歌川を疑はしくも名乗り得て二世の豊国にせの豊国」の落首らくしゅ諷刺ふうしせられしといへどもとにかく歌川派の画系をつぎ柳島やなぎしま亀井戸かめいどとに邸宅を有せしほどなれば
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
地獄谷に真蘂とは、これは差向き落首らくしゅの種になりさうな。あのたぬき和尚、一思ひに火の中へとは考へたが、やつぱり肩に背負つて逃げだして、あとから瑞仙ずいせん殿に散々に笑はれたわい。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
都では、京童きょうわらんべのこんな落首らくしゅが六条河原に立てられ、六波羅の敗北を、小気味よがる風潮もあったというが、それよりは
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちかごろ、六条、二条などの河原では、凡下ぼんげやからが、やたらに落首らくしゅをたてることが流行はやりでございますが、そのうちにこんなのもあったとか聞きおよびます……
寄手の者から世上にまで、こんな落首らくしゅさえうたいはやされていた。当然、村重についてここに至った将兵の士気はひどく腐りきってしまった。九月の中旬なかば頃である。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義仲が亡んだあと、京中には、さまざまな落首らくしゅがあらわれたと、これも盛衰記の筆者は書いている。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
河原に、楮幣ちょへいを皮肉った落首らくしゅを立てて捕まった法師だの、楮幣ではなをかンだことが知れて引っ張られた遊女あそびめだの、どうせ罪は軽いと信じているのか、割合にみな陽気なのである。
播州ばんしゅう加古川かこがわで渡し守をしているということが世間の笑い話になってから「加古川の教信沙弥しゃみ」といえば堕落僧だらくそうの代名詞のようになって落首らくしゅ俗謡ぞくようにまでうたわれたものだった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さだめし囂々ごうごうと蔭口きいたり、又、口の悪い落首らくしゅが諸所に現われるだろうと
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
河原の落首らくしゅがそれを証拠だてていた。