をさな)” の例文
をさない鉄三郎は春を「春や」と呼び、春も亦鉄三郎を「若様」と呼んだが、維新後の磐は春を嫡母てきぼとして公に届け、これに孝養を尽した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
疲れたやうな、をさない顔の悲しげな目に喜を湛へてゐる。突然昔の気軽に帰つた主人に、暫くも目を放さぬやうにして、黙つて静に附いて行くのである。
燃ゆるが如き我血を冷さんとて、我は聖母の像の下に伏して、我唇をそのひやゝかなる石の足に觸れたり。憶ひ起せば、わがまだをさなき時の心安かりしことよ。
痰と生薑とに何かの因縁いんねんがあるやうにも思へたがそれがをさない僕には分からない。それから大分だいぶつて僕は東京にのぼるやうになり、好んで浪花節なにはぶしを聞いた。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
をさない時私はよくかういふ子守唄をきかされた。さうして恐ろしい夜の闇におびえながら、乳母の背中から手を出して例の首の赤い螢を握りしめた時私はどんなに好奇の心に顫へたであらう。
水郷柳河 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
佐々木氏の曾祖母、をさなかりし頃友だちと庭にて遊びてありしに、三本ばかりある胡桃くるみの木の間より、まつ赤なる顔したる男の子の顔見えたり。これは河童なりしとなり。今もその胡桃大木にてあり。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
當年十六歳にしては、少しをさなく見える、痩肉やせじしの小娘である。しかしこれはちとの臆する氣色もなしに、一部始終の陳述をした。
最後の一句 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
「バレツトオ」の舞には玉の如きをさなき娘達打連れて踊りぬ。われはその美しさを見るにつけて、血をくおもひをなしつゝ、悄然として場を出でたり。
それでもをさなごころに悪いことをしたやうな気持でゐたことをおぼえてゐる。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
詮ずるところ人間主義の小説界に入りしは、十九世紀に於ける特相といふも誣言ふげんにあらじ。なほいとをさなきほどの顯象なり云々。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
元と亞拉伯アラビアうまれなるが、をさなき時より法皇の教の庭にうつされて、こゝに生ひ立ち、今はこの學校の趣味の指南役、テヱエル大學院アカデミアの審美上主權者となりぬ。
わが眼中の文壇は初學後進の猶をさなきを標準としたるなり。早稻田文學の講述を讀まむ人々を目的としたるなり。これも見解の相異なる一點ならむと。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
譬喩ひゆを以ていふときは、をさなき立實論は阿含あごんの如く、かたよりたる主觀想論は般若はんにやの如く、先天立實論は法華涅槃ほつけねはんの如し。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
しかし此両説は相悖あひもとらぬかも知れない。何故と云ふに長崎にゐた清人しんひとは来去数度に及んだ例がある。文化六年に江が初て来た時は、逸雲は猶をさなかつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「悴杏春儀は其節病気に付快気次第と被仰付候。」をさない杏春は果して病んでゐたか。或はその病んでゐたものは杏春にあらずして、生父玄俊であつたか。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
邸内を歩くにも忍びに歩かなくてはならぬと云ふ拘束を豪邁なさがを有してゐる壮年の身に受けて、綱宗はをさない亀千代の身の上を気遣きづかひ、仙台の政治を憂慮した。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
白井孝右衛門かうゑもんをひ儀次郎ぎじらう般若寺村はんにやじむらの百姓卯兵衛うへゑは死罪、平八郎のめかけゆう、美吉屋の女房つね、大西与五郎と白井孝右衛門のせがれで、をさない時大塩の塾にゐたこともあり
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
をさなしと笑ひ玉はんが、寺に入らん日はいかに嬉しからまし。」見上げたる目には涙満ちたり。
舞姫 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
筆に任せて書きしるしつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日けふになりておもへば、をさなき思想、身のほど知らぬ放言
舞姫 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
次に壽阿彌の奇行がをさなかつた刀自に驚異の念をさしめたことがある。それは壽阿彌が道にいばりする毎に手水てうづを使ふ料にと云つて、常に一升徳利に水を入れて携へてゐた事である。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
壽阿彌は刀自のをさなかつた時、伊澤の家へ度々來た。僧侶としては毎月十七日にかさずに來た。これは此手紙の書かれた翌年、文政十二年三月十七日に歿した蘭軒の忌日きにちである。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
當時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりておもへば、をさなき思想、身の程知らぬ放言、さらぬも尋常よのつねの動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを
舞姫 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)