トップ
>
穉
>
をさな
ふりがな文庫
“
穉
(
をさな
)” の例文
穉
(
をさな
)
い鉄三郎は春を「春や」と呼び、春も亦鉄三郎を「若様」と呼んだが、維新後の磐は春を
嫡母
(
てきぼ
)
として公に届け、これに孝養を尽した。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
疲れたやうな、
穉
(
をさな
)
い顔の悲しげな目に喜を湛へてゐる。突然昔の気軽に帰つた主人に、暫くも目を放さぬやうにして、黙つて静に附いて行くのである。
フロルスと賊と
(新字旧仮名)
/
ミカイル・アレクセーヴィチ・クスミン
(著)
燃ゆるが如き我血を冷さんとて、我は聖母の像の下に伏して、我唇をその
冷
(
ひやゝか
)
なる石の足に觸れたり。憶ひ起せば、わがまだ
穉
(
をさな
)
き時の心安かりしことよ。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
痰と生薑とに何かの
因縁
(
いんねん
)
があるやうにも思へたがそれが
穉
(
をさな
)
い僕には分からない。それから
大分
(
だいぶ
)
経
(
た
)
つて僕は東京にのぼるやうになり、好んで
浪花節
(
なにはぶし
)
を聞いた。
念珠集
(新字旧仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
穉
(
をさな
)
い時私はよくかういふ子守唄をきかされた。さうして恐ろしい夜の闇におびえながら、乳母の背中から手を出して例の首の赤い螢を握りしめた時私はどんなに好奇の心に顫へたであらう。
水郷柳河
(新字旧仮名)
/
北原白秋
(著)
▼ もっと見る
佐々木氏の曾祖母、
穉
(
をさな
)
かりし頃友だちと庭にて遊びてありしに、三本ばかりある
胡桃
(
くるみ
)
の木の間より、まつ赤なる顔したる男の子の顔見えたり。これは河童なりしとなり。今もその胡桃大木にてあり。
遠野物語
(新字旧仮名)
/
柳田国男
(著)
當年十六歳にしては、少し
穉
(
をさな
)
く見える、
痩肉
(
やせじし
)
の小娘である。しかしこれは
些
(
ちと
)
の臆する氣色もなしに、一部始終の陳述をした。
最後の一句
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
「バレツトオ」の舞には玉の如き
穉
(
をさな
)
き娘達打連れて踊りぬ。われはその美しさを見るにつけて、血を
嘔
(
は
)
くおもひをなしつゝ、悄然として場を出でたり。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
それでも
穉
(
をさな
)
ごころに悪いことをしたやうな気持でゐたことをおぼえてゐる。
念珠集
(新字旧仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
詮ずるところ人間主義の小説界に入りしは、十九世紀に於ける特相といふも
誣言
(
ふげん
)
にあらじ。
尚
(
なほ
)
いと
穉
(
をさな
)
きほどの顯象なり云々。
柵草紙の山房論文
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
元と
亞拉伯
(
アラビア
)
の
産
(
うまれ
)
なるが、
穉
(
をさな
)
き時より法皇の教の庭に
遷
(
うつ
)
されて、こゝに生ひ立ち、今はこの學校の趣味の指南役、テヱエル
大學院
(
アカデミア
)
の審美上主權者となりぬ。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
わが眼中の文壇は初學後進の猶
穉
(
をさな
)
きを標準としたるなり。早稻田文學の講述を讀まむ人々を目的としたるなり。これも見解の相異なる一點ならむと。
柵草紙の山房論文
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
譬喩
(
ひゆ
)
を以ていふときは、
穉
(
をさな
)
き立實論は
阿含
(
あごん
)
の如く、
偏
(
かたよ
)
りたる主觀想論は
般若
(
はんにや
)
の如く、先天立實論は
法華涅槃
(
ほつけねはん
)
の如し。
柵草紙の山房論文
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
しかし此両説は
相悖
(
あひもと
)
らぬかも知れない。何故と云ふに長崎にゐた
清人
(
しんひと
)
は来去数度に及んだ例がある。文化六年に江が初て来た時は、逸雲は猶
穉
(
をさな
)
かつた。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
「悴杏春儀は其節病気に付快気次第と被仰付候。」
穉
(
をさな
)
い杏春は果して病んでゐたか。或はその病んでゐたものは杏春にあらずして、生父玄俊であつたか。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
邸内を歩くにも忍びに歩かなくてはならぬと云ふ拘束を豪邁な
性
(
さが
)
を有してゐる壮年の身に受けて、綱宗は
穉
(
をさな
)
い亀千代の身の上を
気遣
(
きづか
)
ひ、仙台の政治を憂慮した。
椙原品
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
白井
孝右衛門
(
かうゑもん
)
の
甥
(
をひ
)
儀次郎
(
ぎじらう
)
、
般若寺村
(
はんにやじむら
)
の百姓
卯兵衛
(
うへゑ
)
は死罪、平八郎の
妾
(
めかけ
)
ゆう、美吉屋の女房つね、大西与五郎と白井孝右衛門の
倅
(
せがれ
)
で、
穉
(
をさな
)
い時大塩の塾にゐたこともあり
大塩平八郎
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
「
穉
(
をさな
)
しと笑ひ玉はんが、寺に入らん日はいかに嬉しからまし。」見上げたる目には涙満ちたり。
舞姫
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
筆に任せて書き
記
(
しる
)
しつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、
今日
(
けふ
)
になりておもへば、
穉
(
をさな
)
き思想、身の
程
(
ほど
)
知らぬ放言
舞姫
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
次に壽阿彌の奇行が
穉
(
をさな
)
かつた刀自に驚異の念を
作
(
な
)
さしめたことがある。それは壽阿彌が道に
溺
(
いばり
)
する毎に
手水
(
てうづ
)
を使ふ料にと云つて、常に一升徳利に水を入れて携へてゐた事である。
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
壽阿彌は刀自の
穉
(
をさな
)
かつた時、伊澤の家へ度々來た。僧侶としては毎月十七日に
闕
(
か
)
かさずに來た。これは此手紙の書かれた翌年、文政十二年三月十七日に歿した蘭軒の
忌日
(
きにち
)
である。
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
當時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりておもへば、
穉
(
をさな
)
き思想、身の程知らぬ放言、さらぬも
尋常
(
よのつね
)
の動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを
舞姫
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
穉
部首:⽲
17画
“穉”を含む語句
穉子
穉児
穉心
幼穉
穉拙
穉気
丁穉
幼穉園
徐穉
穉兒
穉樹
穉氣
穉物語
穉童