たてまつ)” の例文
旧字:
内典ほとけのみのり興隆おこさむとおもふ。方将まさ寺刹てらを建てむときに、はじめて舎利を求めき、時に、汝が祖父司馬達等しばたちと便すなわち舎利をたてまつりき。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
本邦では普通に馬牛を食うを古来忌んだようだが、『古語拾遺』に白猪、白馬、白鶏を御歳みとせすなわち収穫の神にたてまつってその怒りを解く事あり。
舒明じょめい天皇が、宇智野うちぬすなわち大和宇智うち郡の野(今の五条町の南、阪合部さかあいべ村)に遊猟したもうた時、中皇命なかちすめらみこと間人連老はしびとのむらじおゆをしてたてまつらしめた長歌の反歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
毎年宇治のめいを選んで雲上うんじょうたてまつり、「玉露」と名付けてほうを全国に伝ふ。当主を坪右衛門つぼえもんと云ひ一男三女を持つ。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
いろいろないきさつがあって、この著者が遂に秘密の洞窟へ入ることを許されるのであるが、その度毎に、アク・アクを慰めるために、鶏のクラントウをたてまつるのである。
牛の丸焼 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
たまたまの御客様に何かすすめたいたてまつりたいと思っても、工合よく思い当るものが無いので、仕方なしに裏庭の圃のジャガイモを塩ゆでにして、そして御菓子にして出しました
みんなよく聞け、拙者は此の釜礁が割れないから、じぶんの身を竜王様にたてまつって、何時いつなんどき此の生命いのちをお取りくだされてもかまいませんから、釜礁を一刻も早く取りけるようにしてくだされと
海神に祈る (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
たてまつる、はるか雲居に。
新頌 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
いずれも蛇を竜の幼稚なものとしたので、出雲佐田社さだのやしろへ十月初卯日ごとに竜宮から竜子をたてまつるというも、実は海蛇だ。
この歌は、川島かわしま皇子がこうぜられた時、柿本人麿が泊瀬部はつせべ皇女と忍坂部おさかべ皇子とにたてまつった歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
洪水息んでノアいけにえたてまつって上帝に謝恩し、一同大いに悦ぶ最中に蛇来って約束通り人を求めて食わんという。
天皇(持統天皇)雷岳いかずちのおか(高市郡飛鳥村大字雷)行幸の時、柿本人麿のたてまつった歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
明良洪範めいりょうこうはん』二四には、天正十七年四月、秀吉初め男子(名は棄君)を生む、氏郷累代の重器たる、秀郷蜈蚣むかで射たる矢の根一本たてまつる、この子三歳で早世したので
海王降参の表示しるしとして、何を陸王にたてまつるべきやと問うと、百ガルヴァルだけ糧食かてたてまつれと答う。
その番にあたった賢い若者が王の理髪に上る時、母の乳と麦粉で作った餅を母にもらって持ち行き王にたてまつる。王試み食うとうまかったからこの青年に限って理髪が済んで殺さず。
波羅門太子に教えこの栴檀を奉って立身せよという、太子往きて王にたてまつり王これを身に塗って全快し約のごとく半国を与うるも受けず、その代りに王に乞うて五十日間あまねく貧民に施さしむ。