文晁ぶんちょう)” の例文
数代前の先祖から門外不出といわれて秘蔵されて来たことだの、また、そこには抱一ほういつ文晁ぶんちょうの頃から文人や画家がよく遊んだことだの
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
露柴はすい江戸えどだった。曾祖父そうそふ蜀山しょくさん文晁ぶんちょうと交遊の厚かった人である。家も河岸かし丸清まるせいと云えば、あの界隈かいわいでは知らぬものはない。
魚河岸 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
奥の八畳の座敷に、二人の客があって、酒たけなわになっている。座敷は極めて殺風景に出来ていて、床の間にはいかがわしい文晁ぶんちょう大幅たいふくが掛けてある。
鼠坂 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
拙者は木挽町こびきちょう狩野かのうでござるとか、文晁ぶんちょうの高弟で、崋山の友人で候とか、コケおどしを試むる必要はなく、大抵の場合、足利の田舎絵師田山白雲と
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
文晁ぶんちょうの絵は七福神しちふくじん如意宝珠にょいほうしゅの如き趣向の俗なるものはいふまでもなく、山水または聖賢の像の如き絵を描けるにもなほ何処にか多少の俗気を含めり。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
一度などは、日本橋の質屋へはいった時、文晁ぶんちょうの屏風いっぱいにこの煩悩の二字が殴り書に遺されてあった。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
袂のある絣のきものを着て小倉の袴をつけた砂場嘉訓は、伸子のうちの客間の真中に文晁ぶんちょうの懸物をひろげ、わきに唐紙をのべて、それをうやうやしく模写をしていた。
二つの庭 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
雪舟せっしゅうとか光琳こうりんとか文晁ぶんちょうとか容斎ようさいとかいう昔しの巨匠の作になずんだ眼で杓子定規に鑑賞するから、偶々たまたま芸術上のハイブリッドを発見しても容易に芸術的価値を与えようとしない。
床の間には印刷した文晁ぶんちょうの鹿の幅などが、なまじいに懸けてあるのが、山の宿としては、不調和であるが、それでもこの室だけは、一番上等のだと見えて、赤い毛布をいて
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
「奥の床の間を見給え、文晁ぶんちょうのイカモノが掛かってる。僕ならば友達の書いた物でも可いからホンモノを掛けて楽むネ」こう言って、何もかも不平でえられないような、病人らしい
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
十畳と八畳の結構な二間に、備後表びんごおもてが青々して、一間半の畳床には蝦夷菊えぞぎくを盛上げた青磁の壺が据えてある。その向うに文晁ぶんちょうの滝の大幅。黒ずんだ狩野派の銀屏風ぎんびょうぶの前には二枚がさねの座布団。脇息。
斬られたさに (新字新仮名) / 夢野久作(著)
○赤石君文晁ぶんちょう帰去来ききょらいの事。(懇請、頓首とんしゅ
ガラマサどん (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
文晁ぶんちょう先生のお邸であろう?」
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
浅草の観世音へ行っては、あの掛額をながめて、絵をかいたものです、あれが拙者の最初の絵のお手本です。文晁ぶんちょうのところへも、ちょっと行きました。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
江戸へ出ては、文晁ぶんちょう鞭撻べんたつされ、崋山に刺戟しげきされ、春木南湖の門をたたき、靄厓あいがいただすという風だった。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
容斎ようさい嵩谷すうこく雪旦せったん文晁ぶんちょう国芳くによしあたりまでがくつわを並べているというわけだから、その間に挟まって、まさるとも劣るところなき名乗りを揚げようというのは骨だ
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一とせ文晁ぶんちょうは、松平楽翁公につれられて仙台へのり込んだそうだが、豪勢な羽ぶりであったそうだ。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)