御感ぎょかん)” の例文
まことに唐の司空図しくうとが詩品にも優りて、いみじくも美わしく御答え申したと、親王も御感ぎょかんあり、当時の人々も嘆賞したのであった。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
滅相めっそうもないこと、三彩獅子を御覧ごろうぜられて、将軍家の御感ぎょかん一通ひととおりでなく、殿、御上府のせつは、偉い面目めんもくをほどこしたそうでござる」
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
徳川殿の御感ぎょかんにあずかった御仁ごじんこそ、別人ならぬその田中兵部大輔殿でござることを、よもお忘れはなさりますまい。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
七歳のとき、ワイセンフェルス公爵の御前でオルガンをき、公の御感ぎょかんに入って、公爵自身ヘンデルの父に、息子の音楽修業を承諾させたという話もある。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
喜春楽を舞って御感ぎょかんにあずかったという悧口者で、世間では祇園女御と呼んでいたが、毎月、月初めの三日、清水寺の籠堂でお籠りをすることを聞きつけると
無月物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「宮様の御感ぎょかんに入ろうものと、正成苦心しおりまする。……が、兵法にかけましても、ご鍛錬の宮様の御感に入ること、なかなか困難にござりまして、正成大汗にござります」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「はははは、さぞ御感ぎょかんに入りなされたろう、軍が終ッて。身に疵をば負いなされたか」
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
みかどの御前に歌をよみ、御感ぎょかんにあずかり、なんじが先祖を申せとある時、はじめて国許を仔細に探ると、人皇にんのう五十三代のみかど、仁明天皇の第二の皇子、深草の天皇の御子、二位の中将と申す人
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そして後には、勅選の金葉集にも載せられたほどであるから——上皇の御感ぎょかんに入ったほども、思いやられる。
江口の遊女で亀遊きゆうといい、南段で桜花の宴があったとき、喜春楽を舞って御感ぎょかんにあずかったという悧口者で、世間では高倉女御と呼んでいたが、毎月、月始めの三日
無月物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
会津四十二万石の大禄をかずけられたまいし御感ぎょかんの御涙にばし御座おわすか、と聞いて見た。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
若いころは、将軍家光の頭をポカンとなぐって、高慢のはなをくじいたり、大洪水の隅田川を、馬上にのりきって家光の御感ぎょかんにあずかったり、正直一途ではあるが、武勇のうわさ高いとのさまです。
幻術天魔太郎 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
僧正の秀歌には主上よりも、御感ぎょかんのおことばがあり、つぼねや、蔵人くろうどにいたるまで、さすがは、僧正は風雅みやびなる大遊たいゆうでおわすなどと、口を極めていったものです。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御感ぎょかんにあずかったときなど、院のおん手ずから、朝日丸という太刀をいただいた名誉すらもっている。
秀吉の御感ぎょかんにいって、出世しゅっせの階段をとびあがるつもりでいた勝頼かつより探索たんさくの結果が、あの通りマズイはめとなったうえに、命令以上なでしゃばりをやッたので、ついに
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
過般来の合戦にぬきんでた功のあった人々への御感ぎょかんの軍忠状には、ままこの二月二日付けのものが多い。わけて北畠顕家あきいえ結城ゆうき宗広、その一族、田村の荘司しょうじらへの感状には
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さようです。家の先祖、武蔵の久下二郎重光が、頼朝公のお旗上げのさい、土肥といの杉山へ一番にはせ参じたところから、御感ぎょかんによって、一と賜わった重代じゅうだいの紋にございまする」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この捷報しょうほうは早くも開封かいほう東京とうけい汴城べんじょうの宮門へ飛脚されたので、天子徽宗きそうは大いによろこばれ、こう総理に聖旨せいしをくだして、御感ぎょかんの状と、黄封こうふうの宮廷酒十瓶とかめとを、征地の慰問に送らせた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また末弟すえの宗業も、天才的な名筆で、早くから、写経生しゃきょうせいの試験には合格し、十七歳のころには、万葉集全巻を、たった十日で写したというので、後白河帝の御感ぎょかんにもあずかったほどな
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝廷の御感ぎょかんは斜めならず
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)