屠所としょ)” の例文
それは、雲霧の仁三と四ツ目屋の新助で、一番どんじりに、屠所としょの羊のように引っ張られて来たのはお人好しの率八です。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と下枝は引立られ、殺気満ちたる得三の面色、こは殺さるるにきわまったりと、屠所としょの羊のとぼとぼと、廊下伝いに歩は一歩、死地に近寄る哀れさよ。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「さあ、先生、それじゃお気の毒でも、いっしょにきてもらいましょうか」屠所としょにひかれるひつじとは、このときの机博士のようなのをいうのであろう。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
けれども志免警部と三人の刑事は私よりももっと失望したらしく、先程の元気はどこへやら、屠所としょの羊ともいうべき姿で、私の前に来て思い思いにうなだれた。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
しかし母はいかにも慇懃いんぎんな様子で御主人に笑顔を見せていたので、もうなんの希望もないことを彼は見てとった。そして彼は屠所としょかるる羊のように、夫人の案内に従っていった。
打ちえられさえしても、屠所としょの羊のように柔順に黙ったまま、葉子にはまどろしく見えるくらいゆっくり落ち着いて働く愛子を見せつけられると、葉子の疳癪かんしゃくこうじるばかりだった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
けものにさえ屠所としょのあゆみと云うことわざがある。参禅さんぜん衲子のうしに限った現象とは認められぬ。応用は才人小野さんの上にもく。小野さんは常から世の中に気兼をし過ぎる。今日は一入ひとしお変である。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
首を垂れて、いわば、屠所としょの羊といったぐあいにトボトボとついてゆく。
キャラコさん:06 ぬすびと (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
皮仕事をする人間が屠所としょへ行って買って来るのですがその皮は誠に柔い。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
気狂きちがいじみているにかかわらず、この小坊主だけが、泣くにも泣かれない面色かおいろを遠くから見ると、ちょうど、ところが千住の小塚原であるだけに、さながら屠所としょの歩みのような小坊主の気色けしきを見ると
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
が、今となっては、あらゆる悔いも慚愧ざんきも及ばない。屠所としょの羊みたいな恰好で、市十郎は、傲岸ごうがんなかれの姿にいて薄暗い梯子段を、元の裏二階へのぼりかけた。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
恩になる姫様ひいさま、勇美子が急な用というにさからい得ないで、島野に連出されたお雪は、屠所としょの羊のあゆみ
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
アトからかんげえるとあっしゃこの時にいい二本棒に見立てられていたんですなあ。節劇ふしげきの文句じゃ御座んせんが「殺されるとはつゆ知らず」でゲス。屠所としょの羊どころじゃねえ。
人間腸詰 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
沢庵の後にいて悄々しおしおと歩く彼の足つきは、屠所としょひつじという形容をそのまま思わせる姿だった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
猿轡さるぐつわのまま蝙蝠傘こうもりがさを横に、縦に十文字に人形を背負い、うしろ手に人形の竹を持ちたる手を、その縄にていましめられつつ出づ。肩を落し、首を垂れ、屠所としょに赴くもののごとし。
山吹 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そうして一方は元気よく、勝誇ったように……一方は屠所としょの羊のように、又は死の投影のように頸低うなだれて、気絶した仲間をたすけ起し扶け起し、月光の真下で別れ別れになって行った。
戦場 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ついには社に行くこと屠所としょの羊のごときものがあった。でもようやく何とか一年半余の連載を果した。それが「親鸞記」として社から出版の運びになったところで関東大震災が来た。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)