子分こぶん)” の例文
成程なるほど子分こぶん多人数たにんずるのは子槌こづちで、れから種々いろ/\たからしますが、兜町かぶとちやうのおたくつて見ると子宝こだからの多い事。甲「だい国立銀行こくりつぎんこう大黒だいこくえん十分じふぶんります。 ...
七福神詣 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
子分こぶんの者が二人、物々しくも縄を打って引いて来たのは地獄極楽人形の小屋に居る美しい木戸番、あの両国中へ桃色の次高音アルトき散らしている、お倉だったのです。
然程さるほどに畔倉重四郎は鎌倉屋金兵衞の子分こぶん八田掃部練馬藤兵衞三加尻茂助の三人をともなひ我がを出て元栗橋もとくりばしへと急ぎ行く程なく來掛きかゝる利根川堤早瀬はやせなみ水柵しがらみに打寄せ蛇籠じやかご
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
中央に頭分かしらぶんを埋め、周囲に子分こぶんしかばねを埋めたる跡あり。俗に平経盛の塚という。
神社合祀に関する意見 (新字新仮名) / 南方熊楠(著)
たこ坊主ぼうずのおかみさんに、どうぞおっとかたきをうってくださいとたのまれる、ヨシ、そんならわたしかたきをうってやろうと、かっぱの親分おやぶんは、さっそく子分こぶんをよびあつめて、みずをくぐってみつからないように
もののいえないもの (新字新仮名) / 小川未明(著)
松浦屋ともいわれた方が、役人や、渡世とせい仲間や、悪番頭の悪だくみにはめられて、代々の御身代は奪い取られ、如何いか密貿易ぬけにの罪をきたとはいえ、累代御恩の子分こぶん児方こかたさえ、訪ねて来る者もない始末。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
みんな、おれの子分こぶんだったのだ。
かいじん二十めんそう (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
かくて又幸手宿さつてじゆくなる杉田三五郎は重四郎と共に金兵衞の子分こぶん八田掃部練馬藤兵衞三加尻茂助の三人を利根川邊とねがはべりにて殺し重四郎が幸手宿を立退たちのき金兵衞より奪ひ取りし金のうち百兩を分前わけまへ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
何の手も無く奪ひ取り懷中せんとするをりからあとより人聲ひとごゑがする故に重四郎は振返ふりかへり彼は定めし子分こぶん奴等やつら何も恐るゝにはあらねども水戸浪人奴みとらうにんめちと手強てごはやつ見付られては面倒也めんだうなり早々此場を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)