和泉いづみ)” の例文
たとへば、淡路あはぢ和泉いづみあひだうみは、古來こらい茅渟ちぬうみせうたつたのを、今日こんにちはこの名稱めいせうばないで和泉洋いづみなだまたは大阪灣おほさかわんせうしてゐる。
国語尊重 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
和泉いづみの山の茸狩たけがりの思ひ出は、十二三の年になりますまで四五年の間は一日も忘れることが出来なかつた程の面白いことでした。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
京橋に近い和泉いづみ町の通りで、よその格子の内で上手な清元を謡つてゐたのをしばらく立つて聞いて来たといふお話をなさる。
桑の実 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
はじめて河内かはち南方なんぽう御陵ごりようがつくられ、ぎの仁徳天皇にんとくてんのうから三代さんだいばかりは、むかし河内かはちくにであつたがいま和泉いづみくに北方ほつぽうさかひ附近ふきん御陵ごりようまうけられることになりました。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
中にも名高いのは和泉いづみ中瑞雲斎なかずゐうんさいで、これは長男克己、二男鼎、三男建と共に入牢した。出雲の金本顕蔵、十津川の増田二郎、下総の子安利平治、越後の大隈熊二なども入牢にふらうした。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
衣川ころもがは和泉いづみじやうをめぐりて、高館の下にて大河に落入る。康衡やすひらが旧跡は衣ヶ関を隔てて、南部口をさし堅めえびすをふせぐと見えたり。さても義臣すぐつて此城にこもり、功名一時のくさむらとなる。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
平次が行つた先は、練塀ねりべい小路の油屋、和泉いづみ屋嘉七の店でした。
もつとも「チヌノウミ」は元來ぐわんらい和泉いづみ南部なんぶのチヌといふところおきせうしたのではあるが‥‥。
国語尊重 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
大祓祭おほはらひまつり摂津せつつ住吉すみよし神社の神事の一つであることは、云ふまでもありませんが、その神輿みこし渡御とぎよさかひのお旅所たびしよへある八月一日の前日の、七月三十一日には、和泉いづみ鳳村おほとりむらにある大鳥おほとり神社の神輿の渡御が
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
思へば和泉いづみの国にて聞いたその声も
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)