“こうえい”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:コウエイ
語句割合
後裔81.0%
光栄7.9%
康永3.2%
後喬1.6%
港営1.6%
行営1.6%
香影1.6%
黄英1.6%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
結局昭宣公の長男たる時平の後裔こうえいは栄えずにしまって、四男の忠平が、後に従一位摂政関白太政大臣になったのみならず
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
大村には勝重のく前に、源頼朝みなもとのよりとも時代から続いている渋江公業こうぎょう後裔こうえいがある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
けれども、今から想像そうぞうされるまご光栄こうえいに一しょに加わりたいというそのねがいは、ごくつつましいあわれなものだった。
ジャン・クリストフ (新字新仮名) / ロマン・ロラン(著)
「つぎはカピ親方が、ご臨席りんせき貴賓諸君きひんしょくん一座いちざのものをご紹介しょうかい申しあげる光栄こうえいを有せられるでしょう」
年号の「康永こうえい元年」は、尊氏が九州から北上して、湊川に勝ち、室町幕府のしょを開いた——それから七年目の年で、また、あて名にみえる
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし母の清子は康永こうえい元年の十二月に病歿しており、妻の登子とうこむすめの鶴王(頼子ともいう)は丹波へ難を避けさせておいたのでここにはいない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われ小石川白山はくさんのあたりを過る時は、かならず本念寺に入りて北山ほくざん南畝両儒の墓を弔ひ、また南畆が後喬こうえいにしてわれらが友たりし南岳なんがくの墓に香華こうげ手向たむくるを常となせり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
詩集には長崎に到つた時の作として、長崎二絶、港営こうえい清商館しんしやうくわん、蘭商舘各一絶がある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
秀吉は天正十八年小田原攻めの時にも書を北政所きたのまんどころに送って、淀君を陣中に招いているが、今度の出陣にも名護屋の行営こうえいへ連れて行ったのである。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
金釵きんさ」とか、「香影こうえい」とか、そういう漢詩に残った趣のある言葉が正太の胸を往来した。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
陶の姉は幼名を黄英こうえいといっていつもよく話をした。
黄英 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)