“こうえい”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:コウエイ
語句割合
後裔80.0%
光栄7.7%
康永3.1%
港営1.5%
紅映1.5%
紅纓1.5%
行営1.5%
香影1.5%
黄英1.5%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
これは江戸名所図会にも載っている、あれの直接の後裔こうえいであるかどうかは知らないがともかくも昔の江戸の姿をしのばせる格好の目標であった。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
写実画派の後裔こうえいの多数はただ祖先の目を通して以外に天然を見ない。元祖の選んだ題材以外の天然を写すものは異端者であり反逆者である。
備忘録 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
かくのごときが実に、ルイ十四世の後裔こうえいたる諸大侯によってなされ、ナポレオンの下より輩出した諸将軍によって導かれたこの戦争の実状であった。
けれども、今から想像そうぞうされるまご光栄こうえいに一しょに加わりたいというそのねがいは、ごくつつましいあわれなものだった。
ジャン・クリストフ (新字新仮名) / ロマン・ロラン(著)
「つぎはカピ親方が、ご臨席りんせき貴賓諸君きひんしょくん一座いちざのものをご紹介しょうかい申しあげる光栄こうえいを有せられるでしょう」
伊賀衆いがしゅうのなかでも、隠密の上手じょうずとは聞いたが、なんという光栄こうえいをもった男だろうと、人々の目は、いよいよかれと主君しゅくんとにそそがれていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年号の「康永こうえい元年」は、尊氏が九州から北上して、湊川に勝ち、室町幕府のしょを開いた——それから七年目の年で、また、あて名にみえる
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし母の清子は康永こうえい元年の十二月に病歿しており、妻の登子とうこむすめの鶴王(頼子ともいう)は丹波へ難を避けさせておいたのでここにはいない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
——そしてその清子は、この年、康永こうえい元年十二月二十三日に亡くなった。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
詩集には長崎に到つた時の作として、長崎二絶、港営こうえい清商館しんしやうくわん、蘭商舘各一絶がある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
やがてさらしをはらんとする白ちゞみをさらすをりから、朝日のあか/\とさしのぼり玉屑平上ぎよくせつへいしやうつらねたる水晶白布すゐしやうはくふ紅映こうえいしたる景色けしき、ものにたとへがたし。
と、三男の祝彪しゅくひょうが、これも縷金荷葉るきんかようのうすがねのかぶとに、紅梅縅こうばいおどしのクサリよろいを着し、白馬はくば紅纓こうえいの上にまたがって、三叉さんさの大鎗も派手派手しく、部下百人の先頭に立って城門の外へ出てきた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉は天正十八年小田原攻めの時にも書を北政所きたのまんどころに送って、淀君を陣中に招いているが、今度の出陣にも名護屋の行営こうえいへ連れて行ったのである。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
金釵きんさ」とか、「香影こうえい」とか、そういう漢詩に残った趣のある言葉が正太の胸を往来した。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
陶の姉は幼名を黄英こうえいといっていつもよく話をした。
黄英 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)