“こうえい”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:コウエイ
語句割合
後裔77.1%
光栄7.1%
康永2.9%
光映1.4%
後衛1.4%
港営1.4%
紅映1.4%
紅纓1.4%
行営1.4%
香影1.4%
黄瀛1.4%
黄英1.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
その後裔こうえいに当る黒田藩士梅津源蔵正武氏(正利氏令息で隠居して一朗といった)と、その妻判女(児玉氏)との間に一女二男が生まれた。
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
このたび不意ふい殿とのさまにおいでをねがって、このうえのない光栄こうえいにぞんじましたが、まちまでちゃわんをもとめてきますひまがなかったのでございます。
殿さまの茶わん (新字新仮名) / 小川未明(著)
しかし母の清子は康永こうえい元年の十二月に病歿しており、妻の登子とうこむすめの鶴王(頼子ともいう)は丹波へ難を避けさせておいたのでここにはいない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五月三日、枕山は上野寛永寺の僧光映こうえいが南部に赴くのを送るがため書家高斎単山こうさいたんざんらとともに千住駅の某楼に別宴を張った。光映は俗姓赤松氏、字は曇覚、号を棘樹また一如庵という。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
なわ垂繩たらしをつけた十尺ばかりの角材を海におろし、両端りょうたんをマレー人に支えさせておいてモニカを水に入れた。垂繩たらしにつかまらせると、四人のマレー人が前衛ぜんえい後衛こうえいになって、岸をめがけて泳ぎだした。
呂宋の壺 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
詩集には長崎に到つた時の作として、長崎二絶、港営こうえい清商館しんしやうくわん、蘭商舘各一絶がある。長崎の一首と清商館の作とを此に録する。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
やがてさらしをはらんとする白ちゞみをさらすをりから、朝日のあか/\とさしのぼり玉屑平上ぎよくせつへいしやうつらねたる水晶白布すゐしやうはくふ紅映こうえいしたる景色けしき、ものにたとへがたし。
と、三男の祝彪しゅくひょうが、これも縷金荷葉るきんかようのうすがねのかぶとに、紅梅縅こうばいおどしのクサリよろいを着し、白馬はくば紅纓こうえいの上にまたがって、三叉さんさの大鎗も派手派手しく、部下百人の先頭に立って城門の外へ出てきた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉は天正十八年小田原攻めの時にも書を北政所きたのまんどころに送って、淀君を陣中に招いているが、今度の出陣にも名護屋の行営こうえいへ連れて行ったのである。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
父の夢は子の胸に復活いきかえった。「金釵きんさ」とか、「香影こうえい」とか、そういう漢詩に残った趣のある言葉が正太の胸を往来した。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
黄瀛こうえいの首」「黒田清輝像」「九代目団十郎」「河口慧海像」「木暮理太郎像」などを作り
我が愛する詩人の伝記 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
陶の姉は幼名を黄英こうえいといっていつもよく話をした。黄英は時とすると呂の所へ来ていっしょに裁縫したり糸をつむいだりした。
黄英 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)