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きうでん
河間王が
宮殿も、
河陰の
亂逆に
遇うて
寺院となりぬ。
唯、
堂觀廊廡、
壯麗なるが
故に、
蓬莱の
仙室として
呼ばれたるのみ。
歎ずべきかな。
それは
例へば
堂塔伽藍を
造る
場合に、
巨大なる
重い
屋根を
支へる
必要上、
軸部を
充分に
頑丈に
組み
堅めるとか、
宮殿を
造る
場合に、その
格式を
保ち、
品位を
備へるために、
優良なる
材料を
用ひ
読者よ、かくの
如きは
湖の
宮殿に
至る
階の一
段に
過ぎない。
其の
片扉にして、
写し
得たる一
景さへこれである。
つぎに
允恭天皇の五
年丙辰七
月廿四
日地震、
宮殿舍屋を
破るとある。