“いけど”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:イケド
語句割合
生捕52.6%
生擒25.3%
生捉8.4%
生虜4.2%
生獲3.2%
2.1%
2.1%
生取1.1%
生檎1.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「ひとたび落城を見てからでは万事休すです。御最期か、生捕いけどりの憂き目を見るかの二つを出ません。おこころあるなればいまのうちで」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ややあって軍吏ぐんりの一人が口を切り、先年浞野侯さくやこう趙破奴ちょうはど胡軍こぐんのために生擒いけどられ、数年後に漢にげ帰ったときも、武帝はこれを罰しなかったことを語った。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
たたりを恐れぬ荒気の大名。おもしろい、水を出さば、天守の五重をひたして見よ、とそれ、生捉いけどって来てな、ここへ打上げたその獅子頭だ。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
高順、張遼の二将は、変を知るとすぐ、部隊をまとめて、西の門から脱出を試みたが、洪水の泥流深く、進退極まって、ことごとく生虜いけどられた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ナニそりゃア真黒まっくろに面を塗って頬冠ほっかぶりをしてナ、丹波の国から生獲いけどりましたと云う荒熊あらくまの様な妙な面になってきゃア仮令たとえ面を見られたって分りゃアしねえから
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
浅井方の大将安養寺三郎左衛門は、織田と浅井家の同盟を斡旋あっせんした男だ。長政を落さんとして奮戦中馬を鉄砲で射られて落馬したので、遂にいけどりにせられて信長の前に引き据えられた。
姉川合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
すむ魚沼郡うおぬまこほりうち浦佐うらさ宿のざい大倉村の樵夫きこり八海山に入りし時、いかにしてか白き児熊こくまいけどり、世にめづらしとてかひおきしに香具師かうぐし(江戸にいふ見世もの師の古風なるもの)これを買もとめ
おんなじ様に、越前国丹生郡天津村えちぜんのくににゅうぐんあまつむら風巻かざまきという処に善照寺ぜんしょうじという寺があって此処ここへある時村のものが、むじな生取いけどって来て殺したそうだが、丁度ちょうどその日から、寺の諸所しょしょへ、火が燃え上るので
一寸怪 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
八重の潮路の海鳥うみどりの沖の太夫たゆう生檎いけどりぬ
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)