頼山陽らいさんよう)” の例文
父はその青春時代の情操を頼山陽らいさんようなどの文章によって養われた。すなわち維新の原動力となった尊皇の情熱を、維新の当時に吹き込まれた。
蝸牛の角 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
頼山陽らいさんようの母梅颸ばいし女史の日記などは、山陽がお腹にやどる前から山陽の死後十数年にまで及んでいる。世界に例のない“母の日記”といえようか。
天保三年九月その齢四十四、三度東行の途に上らんとする時、その友頼山陽らいさんようの病を京師に問い、江戸に来って巻菱湖まきりょうこ鉄砲洲てっぽうずの家に旅装を解いた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大倉喜八郎おおくらきはちろうの祖父、越後北蒲原えちごきたかんばら新発田しばた町の豪商大倉定七さだしちの墓碑銘を、頼山陽らいさんようが頼まれて、起筆して曰く
志士と経済 (新字新仮名) / 服部之総(著)
頼山陽らいさんようは、信長の像にたいして、「両頬下殺りょうきょうかさつ、徳の薄きを知る。双眉急迫そうびきゅうはく、性の急なるを見る。」
その日も果して、勢いこんで、尚歯会主催の詩歌連俳の会に定刻前から乗込んで、放言をたくましうしました。その一例を挙げてみると、何かにつけて頼山陽らいさんようの話が出た時
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その断崖の真下に打ち寄せて来る波は、千千石ちぢわ湾から天草灘あまくさなだを越えて——万里舟を泊す天草の灘、と、頼山陽らいさんようの唄ったあの天草の灘から、遠く東支那海へとつらなっているのでしょう。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
悠々と蒲団の上に座って、角細工つのざいく骸骨がいこつ根付ねつけにした煙草入たばこいれを取出した。彼は煙を強く吹きながら、帳場に働くおてつの白い横顔を眺めた。そうして、低い声で頼山陽らいさんようの詩を吟じた。
二階から (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
淡窓ばかりでない、頼山陽らいさんようなどもはなはだ信じない、誠に目下めした見下みくだして居て
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
頼山陽らいさんようさ」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
などと、頼山陽らいさんよううたい上げた。しかし、玉座ぎょくざを拝して、やがて花山院をさがって行った姿には、どこにもそんな悲壮感はなく、わるびれても見えなかった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文政九年湖山は十三歳の時、その父に伴われて京師けいしに往き頼山陽らいさんように謁してその門生となることを許されたが、るに至らずして郷里に帰り大岡松堂の塾に入った。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
悠々と蒲団ふとんの上にすわって、つの細工の骸骨がいこつ根付ねつけにした煙草たばこ入れを取り出した。彼は煙りを強く吹きながら、帳場に働くおてつの白い横顔を眺めた。そうして、低い声で頼山陽らいさんようの詩を吟じた。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
蔵書を始め一切の物を売却しようと云うことになって、ず手近な物から売れるだけ売ろうと云うので、軸物じくもののような物から売り始めて、目ぼしい物を申せば頼山陽らいさんよう半切はんせつ掛物かけものきんに売り
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
頼山陽らいさんようの文名が一世を圧した時、世人はまた、山陽の詩、山陽の文業をさして
剣の四君子:04 高橋泥舟 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頼山陽らいさんようは、その詠史えいしの詩のうちに言って
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)