遠流おんる)” の例文
何しても絶代の明師が不測の難にうて遠流おんるの途に上るのだから、貴賤道俗の前後左右に走り従うもの何千何万ということであった。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
幕府の暴逆は、いまに限らないが、いまはその魔刃まじんを、宮のこうべに加え、現帝をもとらえて、人界の外へ、遠流おんるせんとの行動に着手しだした。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尚又謀叛に組したかど遠流おんるに処せられた人々は、延寿院玄朔、紹巴法眼、荒木安志、木下大膳亮だいぜんのすけ等であったが、それについて太閤記は云う
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
家の職を奪われ、あるいは遠流おんるの身となっては、再び悪魔調伏の祈祷を試むる便宜よすがもない。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
(赦文を読む)重科遠流おんるめんず。早く帰洛きらくの思いをなすべし。このたび中宮ちゅうぐうご産の祈祷きとうによって非常のゆるし行なわる。しかる間、鬼界きかいが島の流人るにん丹波たんばの成経、たいらの康頼を赦免しゃめんす。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
天皇幽閉、上皇遠流おんるなどという悪例も、この時にひらかれました。兵火は、一時やんでも、戦後戦は、なおつめたく戦われている。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしてこの安楽房は、後年後宮女房のことから自分は斬罪に会い、師の法然を遠流おんるにするような事態をき起した人物である。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
たすけるでもなく、親からいただいたこの体には刺青いれずみされて遠流おんるの身だ。ああ、残念な。ああ、がいないことだ。……すみません、父上
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ソノ上ニ元〆《もとじめ》ガ悪イト引責モ出来テ、ドノヨウニ倹約ヲシテ勤メテモ、三十年ハ借金ヲ抜クニカカル故、子孫ガ迷惑シテ、ソノ勘定ガ立タヌト遠流おんる又ハ断絶ニナルカラ
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かつての、隠岐遠流おんるの日には、佐々木道誉がその護送役だった。天皇、准后じゅんごう、侍者の忠顕などを送って、出雲国まで付いて行ったことでもある。
京都で起こったあの騒動——竹内式部たけのうちしきぶの密謀が破れ、公卿くげ十七家の閉門を見、式部は遠流おんる、門人ことごとく罪科ざいかになって解決した——あの事件の時
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一味の公卿、僧侶、武士どもも、追ッつけ、鎌倉のご議定がまいり次第、処断となろうが、ひとまず先帝と二皇子の遠流おんるりおこなった後と見られる。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠流おんるにせよ)などという排撃のことばをかざして、庁に迫る者など、仏者のあいだや、官のあいだを、潜行的に運動してまわる策士があるし、朝廷でも
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「きっと、励みまする。そして今のおことば忘れませぬ。……けれど、遠流おんるの日が、十六日ということでは、兄上には、もう慈円僧正にお会いあそばす折も」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その忠円も両三日中には、足利家の手で、越後ノ国へ遠流おんるの旅につく用意の下にいたのであった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もし執権の一蹴いっしゅうに会ったらそれまでだ。すでに鎌倉では、現帝の後醍醐に、御出家をすすめるべきであるとか、いっそ遠流おんるし奉るべしとか、極端な論もあると聞えている。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠流おんるの日はまだ決まらないが、それまでのわずかの日の間でも、禅閤ぜんこうは、上人の身をどこか安らかな所へおいて、心から名残なごりを惜しみたいと考えてここへ来たのであった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もちろん、遠流おんるの宣告は、院(後伏見上皇)のお名をかりて、数日前に、果たされている。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけて目前には、先帝の遠流おんる、二皇子のご処分など、お互い重大な任を山とひかえているばあい。探題どのにもどうか女子供風情ふぜいの些事にはおかまいなく、お打ち捨ておき下さいまし。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日野資朝の身は、死罪一等を減じて、佐渡ヶ島へ遠流おんる——。一方の俊基朝臣は
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「本来、首を刎ねても足らない大罪であるが、李厳もまた、先帝がみなしごをお託し遊ばした重臣のひとりだ。官職をいで、一命だけは助けおく。——即日、庶人へ落して、梓滝郡しどうぐん遠流おんるせよ」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それにこの遠流おんるの辛酸までを、蚤虱のみしらみと共に、帝と一つにしてきたことだ。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法勝寺ほっしょうじの僧俊寛の山荘で、法皇の近臣たちが、平家てんぷくを策した世にいう“鹿ヶ谷会議”なるものが行われ、密告者のため、死罪、遠流おんる、追放などの犠牲者をちまたに見たのもこの年でした。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わずかな日のあいだに、武士の多くは河原で首切られ、僧や公卿は、伝馬てんまの背やら箱輿はこごしで、続々、遠流おんるになって行ったのだった。多い日には、二つも三つもの流されびとを都の庶民は目撃していた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先帝せんてい後醍醐ごだいご隠岐おき遠流おんる
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)