跼蹐きょくせき)” の例文
その上に世を推移おしうつる世才にけているから、硯友社という小さい天地にばかり跼蹐きょくせきしないで、早くから広い世間に飛出して翺翔こうしょうしていた。
いかに見極みきわめても皿は食われぬ。くちびるを着けぬ酒は気が抜ける。形式の人は、底のない道義のさかずきいだいて、路頭に跼蹐きょくせきしている。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
別な世界というのは、自分が今まで、跼蹐きょくせきしていた天地のほかに、別に自由自在な天地のあるのを、自分は気がつかなかったということです。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
人はよく私を江戸趣味の人間であるようにいっているが、決して単なる江戸趣味の小天地に跼蹐きょくせきしているものではない。
亡び行く江戸趣味 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
当然これに均霑きんてんすべく、いたずらに広き天地に跼蹐きょくせきしてその素性の露れんことをこれ恐れ、常に戦々兢々たるものに比して、その利害得失いかんぞや。
始めから十七字の繩張なわばりの中に跼蹐きょくせきしてもがいている人とでは比較にならない修辞上の幅員の差を示すであろう。
俳諧の本質的概論 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
当時天下の大剣豪、立身出世に意がないばかりに、狭い高遠の城下などに跼蹐きょくせきしてはいるけれど、江戸へ出ても三番とは下がらぬ、東軍流の名人である。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
是が後年の連句の書臭を帯び、または概念を追いまわすか、そうでなければ我から小さな見聞に跼蹐きょくせきするものとの、争うべからざる一つの相違であった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
写実に偏する者は古代の事物、隔地の景色に無二の新意匠あるを忘れて目前の小天地に跼蹐きょくせきするの弊害あり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
前略、古来小区域に跼蹐きょくせきして陳套ちんとうを脱するあたわざりし桜花がいかに新鮮の空気に触れて絢爛けんらんの美を現したるかは連日掲載の短歌を見し人の熟知するところなるべし。
竹乃里人 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
あるいはこの不自由なる小天地に長く跼蹐きょくせきせる反響として、かく人心の一致集注を見るならんも、その集中点の必ず妾に存せるは、妾に一種の魔力あるがためならずや。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
自由を求め、ひろびろとした世界に出て、龍となって昇天する筈であった。それなのに、今は、北九州の一角、若松という不自由の天地に、土龍もぐらのように跼蹐きょくせきしている。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
狭い法律の技術的世界の内にのみ跼蹐きょくせきして、一般的教養を怠るがごとき傾向が認められるのは甚だ遺憾であって、これは、教育の局に当る者としても、また学生としても
その範疇を打開することが修業の第一歩であろう、頭の中からまず学問を叩き出すがよい、跼蹐きょくせきたる壺中こちゅうからとびだして、空濶くうかつたる大世界へ心を放つのだ、窓を明けろ……
荒法師 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
今や完全なる勝利か、しからずんば国民一人残らずの死あるのみである。眼前の現実に跼蹐きょくせきして、いたずらに物資の不自由をかこつことをやめよ。卑小なる保身を離れて、偉大なる夢を抱け。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
よしんば、それが青春らしいものを、もだもだと表現しているにしても、二十代、三十代の者を唯一の読者とするような作品では、所詮はせせこましい天地に跼蹐きょくせきしているに過ぎない。
東京文壇に与う (新字新仮名) / 織田作之助(著)
だが文部大臣たる以上、たかがスポーツの問題などに跼蹐きょくせきしてはいられない。
社会時評 (新字新仮名) / 戸坂潤(著)
人は友を初めて見た時、へんに跼蹐きょくせきとしたものを感ずるのですが、見ているうちに、それがまるっきり反対なものであることを知ります。友の顔はよく見ると、のびのびとしたものなのです。
わが師への書 (新字新仮名) / 小山清(著)
人間の仲間入りをして社会の羈絆きはんの中に暮そうと思えばこそ、そこには粉飾もあれば粉黛ふんたいもあり、恥もあれば忍辱もあり、私の四十何年の憂鬱至極な生活の鬱積があり、感情の跼蹐きょくせきがあった。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
われらのために人体の秘隠ひいんを説きあかしてくれられたが、その後、七十と何年、蘭方医おおよそ三百人、内外の末流に跼蹐きょくせきして、ただの一人も執刀術の勉強に身を挺したものがなかったというは
玉取物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
宗藩の祖である政宗まさむね公がまだ跼蹐きょくせきした頃、これはその居城であった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
シャロットの女の窓より眼を放つときはシャロットの女にのろいのかかる時である。シャロットの女は鏡の限る天地のうちに跼蹐きょくせきせねばならぬ。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
日本人同士が独逸の雑誌で論難するというは如何にも世界的で、これを以ても鴎外が論難好きで、シカモその志が決して区々日本の学界や文壇の小蝸殻しょうかかく跼蹐きょくせきしなかったのが証される。
鴎外博士の追憶 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
今日の思想からはんずれば、狐はこれ人民の敵で、人は汲々乎きゅうきゅうことしてその害を避くるにもっぱらであるけれども、祭った時代にはいろいろの好意を示し、また必ずしも仏法の軌範の内に跼蹐きょくせきしていなかった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)