薬籠やくろう)” の例文
旧字:藥籠
寧ろすこぶる熱心に海彼岸の文学の表現法などを自家の薬籠やくろう中に収めてゐる。たとへば支考しかうの伝へてゐる下の逸話にちようするが好い。
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
去定と登、それに薬籠やくろうを背負った竹造もいっしょで、伝通院の裏を大塚へぬけ、寺と武家の小屋敷の多い町を、音羽のほうへと向かっていった。
花房の背後うしろに附いて来た定吉は、左の手で汗を拭きながら、げて来た薬籠やくろうの風呂敷包を敷居のきわに置いて、台所の先きの井戸へ駈けて行った。
カズイスチカ (新字新仮名) / 森鴎外(著)
男の心が須臾しゅゆも自分より反れないために、その男は魅気に疲れヘト/\となり、かの女の愛の薬籠やくろう中のものとなる。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
あなたのひかじょ出張でばっていた典医衆てんいしゅうは、なにがなにやらわからないが、とにかく、び立つこえがしきりなので、薬籠やくろうをかかえてその人なかへかけつけた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本を読んでかれの長所を取りもってわが薬籠やくろうにおさめればいい、それだけだ、通弁になって、日光にっこうの案内をしようという下劣な根性のものは明日あすから学校へくるな
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
あから顔の医師いしゃ薬籠やくろうを持ってあがって来た。医師いしゃは細君の傍へ往って四辺あたりの様をじっと見た。
水郷異聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
思ひあたることが無いでもない、人に迫るやうなかれの筆の真面目しんめんもくは斯うした悲哀あはれが伴ふからであらう、斯ういふ記者もたその為に薬籠やくろうに親しむ一人であると書いてあつた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
止むを得ず戸田侯の徒士かちとなったり旗本邸を廻り歩いたり、突然医家を志し幕府の典医山本宗英やまもとそうえい薬籠やくろう持ちとなって見たり、そうかと思うと儒者を志願し亀田鵬斎ほうさいの門をくぐったり
戯作者 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼等の薬籠やくろう中の場所へどんどん踏込んで、彼等に対抗するだけの釣りをして来る。
釣心魚心 (新字旧仮名) / 佐藤惣之助(著)
薬籠やくろうを一僕に荷わせたお医者。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
と、おっしゃっていた通り、わしの御主人も、実によく職に尽されたが、信長公も実によく光秀様の才能を、薬籠やくろう中のものとして、お使いなされたものと思う。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神田川に沿って、聖坂ひじりざかのほうへ歩きながら、去定は前を見たままそう訊いた。登のうしろで、薬籠やくろう持ちの竹造が「へ」といった。自分が訊かれたと思ったらしい。
さて、私申し条も相立ち候へば、即刻下男に薬籠やくろうを担はせ、大雨の中を、しの同道にて、同人宅へ参り候所、至極手狭なる部屋に、さと独り、南を枕にして打臥し居り候。
尾形了斎覚え書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そこへ、義平太の迎えに行った市川楽翁が、薬籠やくろうを持ってやって来た。すぐ、亀次郎の容体をる。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
竹造が去定の先に立って、提灯ちょうちんで足もとを照らしながらゆき、薬籠やくろうは登が負っていた。一人の使用人に二つの仕事を同時にさせてはならない、と去定はつねに云っている。
かれはいま国老鈴木石見守いわみのかみを動かし、また滝川内膳と握って、高松藩の力を自分の薬籠やくろう中のものにしようとしている。そのためには、梅八をここまでれさせる手数をもいとわなかった。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
薬籠やくろうを背負って、登といっしょに供をしていた竹造が、壱岐さまのお屋敷です、とうしろから吃りながら声をかけた。去定はびっくりしたように立停り、左手を見て、それから竹造をにらみつけた。
供は登だけでなく、薬籠やくろうを背負った小者こものが一人いた。
「竹造」と去定が云った、「薬籠やくろうをよこせ」