芦屋あしや)” の例文
これで勝負しょうぶはつきました。芦屋あしや道満どうまんくらいげられて、御殿ごてんからされました。そして阿倍あべ晴明せいめいのお弟子でしになりました。
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
月のすえ二十九日、尊氏は頼尚の案内で、海路、赤間ヶ関から筑前芦屋あしやノ浦へ渡ったが、それは薄氷はくひょうを踏み行くような敵地上陸にことならなかった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父は九歳の時に遠賀おんが郡の芦屋あしやで、お祖父様の夜網打ちの艫櫓ともろを押したというから、相当水泳が上手であったらしい。
父杉山茂丸を語る (新字新仮名) / 夢野久作(著)
芦屋あしやより平湯駅ひらゆえきに出で、大峠おおとうげを越し、信州松本しんしゅうまつもとに出まして、稲荷山いなりやまより野尻のじりそれより越後の国関川せきがわへ出て、高田たかたを横に見て、岡田村おかだむらから水沢みずさわに出まして
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
お宅は芦屋あしやの浜にございましたが、お若い時からの、ご陽気すぎ、それも、奥様、ご寮人りょうにんさまで、下男、下女にかしずかれていられる間は、下の者の手前
両面競牡丹 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
全くの処、細君さいくんの水泳を砂地の炎天できものを預かりながら眺めているというみじめさはあわれむべきカリカチュールでなくて何んであるか。私は最近芦屋あしやへ移った。
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
さきに西国へ遁竄とんざんしていた尊氏が、敗残の兵をのせて、長門ながとの赤間ヶ関をはなれ、海上一日の航路をへて、たそがれ、筑前の芦屋あしやノ浦へただよい着いた日にあたっていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
奥方おくがたがこのごろおもやまいにかかって、いろいろの医者いしゃせてもすこしもくすりえないものですから、ちょうど自分じぶんのにいさんが芦屋あしや道満どうまんといって、その時分じぶん名高なだか学者がくしゃ
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
ちょうど、尊氏の流亡軍が、筑前芦屋あしやノ浦へつき、ここに初めて九州の地をふんでいたころ——
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たった十三にしかならない阿倍あべ童子どうじが、天子てんしさまの御病気ごびょうきなおしてえらい役人やくにんにとりたてられたといて、いちばんくやしがったのは、あの石川悪右衛門いしかわあくうえもんのにいさんの芦屋あしや道満どうまんでした。
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)