能狂言のうきょうげん)” の例文
するととき鎌倉かまくらのあるところに、能狂言のうきょうげんもようしがありまして、親子おやこにんれでその見物けんぶつ出掛でかけましたおり不図ふと間近まじかせき人品じんぴんいやしからぬ若者わかものかけました。
そこで、十五日に催す能狂言のうきょうげんとか、登城の帰りに客に行くとか云う事は、見合せる事になったが、御奉公の一つと云うかどで、出仕だけはめにならなかったらしい。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
まだ織田信長が尾張おわりにいたころから、秀吉ひでよし伯母聟おばむこになる杉原七郎左衛門すぎはらしちろうざえもんという人が、清洲きよすに住んで連尺商れんじゃくあきないをしていたという話があり、また「茶壺ちゃつぼ」という能狂言のうきょうげんでは
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
神楽は村の能狂言のうきょうげん、神官が家元で、村の器用な若者等が神楽師かぐらしをする。無口で大兵の鉄さんが気軽に太鼓をうったり、気軽の亀さんが髪髯かみひげ蓬々ぼうぼうとした面をかぶって真面目に舞台に立ちはだかる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
能狂言のうきょうげんと並びて決して無価値のものに非らずと信ずるに至りしなり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そうそう風流ふうりゅうな、さしいあそびもすこしはありました。それはしゅとして能狂言のうきょうげん猿楽さるがくなどで、家来達けらいたちなかにそれぞれそのみち巧者こうしゃなのがりまして、私達わたくしたち時々ときどき見物けんぶつしたものでございます。