耳門くぐり)” の例文
耳門くぐりからおよそ十五歩ばかり離れたところから、ふと門を眺めた時、自分の心を苦しめ悩ましていた原因をたちまち察知したのである。
耳門くぐりから邸内へはいつて行くと信者ででもあらうか、せ細つた中年の女が、大麦藁帽子おほむぎわらばうしをかぶつて、庭の草むしりをしてゐた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
或る朝庭先へ出て、うまやの所で馬勒ばろくを直していると、いきなり彼女が耳門くぐりから駈け込んで来ました。跣足はだしで、下袴一枚の姿です。
女房ども (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
船板塀ふないたべいをした二階家があって、耳門くぐりにした本門ほんもん簷口のきぐちに小さな軒燈けんとうともり、その脇の方に「山口はな」と云う女名前の表札がかかっていた。
水魔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
セリファンが門をたたきだすと、間もなく耳門くぐりがあいて、上っ張りでも頭から被ったらしい人の姿がにゅっと現われて
点滴の音は聞えぬが足駄あしだをはいて女中が郵便を出しにと耳門くぐりの戸をあける音と共に重そうな番傘ばんがさをひらく音が鳴きしきる虫の声の中に物淋ものさびしく耳についた。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
梯子はしごを下りる音も聞えた。善吉が耳を澄ましていると、耳門くぐりを開ける音がして、続いて人車くるまの走るのも聞えた。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
黒門町のお初は、しなりしなりと三斎屋敷の門前に近づいたが、扉こそとざされておれ、耳門くぐりはまだ閉っていないらしく、寝しずまるには、間があるようだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
病室と入口の違った診察室は、大きな黒門の耳門くぐりくぐってから、砂利を敷き詰めた門内をずっと奥まったところにあった。中へ入ったのは笹村とお銀とだけであった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
『幸ちゃんに今帰ったからッて、そ言っておくれ、』と時田は庭の耳門くぐりはいった、お梅はばたばたと母屋おもやの方へけ出して土間へそっと入ると、幸吉が土間の入口に立っている。
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
と云って船をけさして、おかへあがり、耳門くぐりの方へ往って中の容子を伺っていたが、耳門の扉が開いているようであるから思いきって中へ入った。
円朝の牡丹灯籠 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
……彼女は耳門くぐりをあけてはいって来ましたが、その朝以来、私たちは夫婦も同然の暮らしをすることになりました。……
女房ども (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
「あら、あなた、どこへいらっしゃいますの? 今わたし耳門くぐりをあけてさしあげますわ」とマリヤが叫んだ。
西宮はまた今夜にも来て様子を知らせるからと、吉里へ言葉を残して耳門くぐりを出た。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
わたしの家から移植うつしうえた秋海棠の花西瓜の色に咲きたる由書越かきこされた手紙の文言を思出してはなお更我慢がならず耳門くぐりの戸に手をかけるとすらすらと明いたのみならず、内にはいればこれはいかに
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
耳門くぐりの方へ往っていた蛇はその時こちらの縁側の方へ方向をかえた。それは何かを暗示しているように思われた。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ここで彼は明らかに、その声は耳門くぐりからほど近く、庭の中に立っている湯殿の中から漏れてくるのであって、疑いもなく女のうめき声だということを確かめた。
見ると——その耳門くぐりは上の方が四つ目格子になっていましたが、彼女ももう起きていて、中庭へ出て鴨に餌をやっています。私はつい、彼女の名が口に出てしまいました。
女房ども (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
吉里は一語ひとことさないで、真蒼まッさおな顔をしてじッと平田を見つめている。平田もじッと吉里を見ていたが、堪えられなくなッて横を向いた時、仲どんが耳門くぐりを開ける音がけたたましく聞えた。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
煙草たばこの煙のこもり過ぎたのに心づいてわたしは手を伸ばして瓦塔口かとうぐちふすまを明けかけた時彩牋堂へてた手紙を出しに行った女中がその帰りがけ耳門くぐりの箱にはいっている郵便物を一掴ひとつかみにして持って来た。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
お菊さんは耳門くぐりを入ると右の手に持っていた岡持おかもちを左の手に持ちかえて玄関の方を注意した。青ざめたような光が坂の下に見る火のように下に見えていた。
萌黄色の茎 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
書生は左側にある耳門くぐりから入った。主翁もそれにいて往った。門の中には門番のいる硝子ガラスの小さな建物があっていていたが、番人の姿は見えなかった。
黄灯 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
左側に耳門くぐりがあった。女はその方へ歩いて往って門の扉に手をやると扉は音もなしにいた。女はそうして扉を開けてからり返って、男の来るのを待つようにした。
蟇の血 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
表庭との境いになった板塀の耳門くぐりが半ばいていた。広巳はその方へふらふらと往った。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
蛇は二人の正面になった柾の方へにょろにょろとっていた。定七は蛇の方を見い見いななめに往って表庭と入口の境になった板塀の方へ往って、そこにある耳門くぐりさんけて出て往った。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)