粗笨そほん)” の例文
粗笨そほんな仕事と誰れの眼にも分っていながらも、これがこの節繍の域内を大手振って歩いているのは怖ろしいことだ、と歎かれるのである。
痀女抄録 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
彼ら党人の論調の粗笨そほん乱暴であることは往年の憲政擁護運動時代における慷慨こうがい殺伐の口吻くちぶりと比べて少しも進歩していないのに驚かれます。
選挙に対する婦人の希望 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
少くともブライロフスキーのショパンは、この上もなく情熱的で、少し粗笨そほんではあったが輝かしい美しさに充ちたものであった。
粗笨そほん鹵莽ろもう、出たらめ、むちやくちや、いかなる評もつつしんで受けん。われはただ歌のやすやすと口に乗りくるがうれしくて。(四月三十日)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
答 決してそういう粗笨そほんな断定を下しているのではない。「上手物」でも美しいものは美しい。だが私たちは次のことを注意せねばならぬ。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
(これは私の粗笨そほんな想像ではあるが)処がこれは——この場合私は社会的又は個人的と云ふ程の意味で外的内的と云ふ言葉を
しばしばこれへ渡って日を過し夜を明かすことになればそんな粗笨そほんな形容では自他を分つことができなくなる道理である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その横道に引き入れられたと云ふのは外でもない。これは極粗笨そほんな、ありふれた誤謬だね。即ち単に尋常でない事と深い秘密とを混同するのだね。
似たもの夫婦という表現は、粗笨そほんですね、よく観察するとそれはもっと複雑で、只同じ種類という形で似ているという単純なものではないことね。
そこに何等かの執着をつなぎ、葛藤を加えるのは、要するに下根粗笨そほんな外面的見断に支配されての迷妄に過ぎない。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
あせればあせるほど、藻掻けば藻掻くほどすべてが粗笨そほんに傾き、ますます空虚となってゆくばかりだ。そうではないか。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
というと熱血誠心、真摯しんし真剣ではありながら、彦九郎流の一徹短慮、思慮に乏しい浪人者の粗笨そほん、傍らの大刀ひっさげるや、ヌッと立って席を蹴った。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
唐宋諸賢ノ集中往往ニシテ粗笨そほん冗長ナルガ如キ者アリトイヘドモ、ソノ実ハ句鍛ヘ字錬リ一語モいやしクセズ。故ニ長篇ニ至ツテハすなわち北征南山長恨琵琶びわノ数首ノミ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
だから為世一派の『野守鏡のもりのかがみ』や『歌苑連署事書』も、用語の粗笨そほんさの点で『玉葉集』を難じたのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
その経験という意義が粗笨そほんであったために、今日の唯物論を導いたのであるが、西田氏はこの語の意義を極度まで純化することによって、かえって唯物論を裏切り
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
わたしは最も粗笨そほんな時期においてさえ、すべての建築上の装飾を閑却せよというのではない。
「蛮人のユウモアは粗笨そほんな代りに自然で雄大なところがある。蒟蒻の化物は荒削りで面白い」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
文字も粗笨そほんになるので、「元日や草の戸ごしの麦畑」と整然とした十七字にしたのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
插楽劇メロドラマの反対者らは、これまでなされた試みとその実演者たちとの粗笨そほんさにたいして、りっぱに攻撃の理由をもっていた。クリストフも長い間、同じように嫌悪けんおを感じていた。
ゾラの構成力は、大きいには大きいが、やゝ粗笨そほんで、何方かと云へば、ガラクタ普請の馬鹿に大きい奴に近い。ドオテエも余り大きくない。ツルゲネフも何方かと云へば小さい。
小説新論 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
精密なようでかえって粗笨そほんということもできるであろう。
読書 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
「イヤ参謀、それは粗笨そほんな考え方だと思う。一体この室に蠅などが止まっているというのがきわめて不思議なことではないか。ここは軍団長の居らるる室だ。ことに季節は秋だ。蠅がいるなんて、わが国では珍らしい現象だ」
(新字新仮名) / 海野十三(著)
粗笨そほんに、躁急に登場。)
そうして今のままなら民藝は廃れ、粗笨そほんな機械製品のみふえ、独り個人的作品のみがわずかに骨董的意義で存続するに過ぎなくなるであろう。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
しかれども意匠の粗笨そほん複雑にして統一せざる、語句の佶屈聱牙きっくつごうがにして調和を欠きたる、いまだ達せざる者一歩なり。例句
古池の句の弁 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
極めて粗笨そほんな全体主義でおおうたもののいいかたをし、而もその全体の水準を生活全面で最低まで押し下げておいて、全体という言葉の逆用によって
男は綜合的ではあるが、如何にも粗笨そほんで浅薄です。何をるにも独り合点で、片端から独断でやつてのけます。男の為ることは馬鹿々々しい程無邪気に女には見えます。
新らしき婦人の男性観 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
もっと粗笨そほんでもいい。輝きと力が欲しいではないか——そんなことを言う人も決して少くはない。
そういう場合には、知らない顔をして答弁すまいと用心した。彼は愚かな偽君子であるとともにまた粗笨そほんな人物であって、時の事情によってあるいは傲慢ごうまんになりあるいは穏和になった。
それは必ずしも自分が緻密なる思索に堪え得ざる頭脳の粗笨そほんと溌剌たる体験を支え得ざる身体の病弱とのためではなく、じつに自分のごとき運命を享けたる者、早き死を予感せるものが
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
僕の感傷性と硯友社とを一緒に考へるなどは頗ぶる粗笨そほんな頭だ。
エンジンの響 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
それは文化に対して理解の少い人たちの粗笨そほんな旅日記等にもりますが、一つには沖縄の人たちの不必要な卑下から起る場合も少くはないのです。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
思想そのものとしても、明治時代の独特の粗笨そほんさはまぬがれないと思う。又日本人独特のあわれなる創造力のなさも。日本では、アインシュタインをよんだものが学者となる。
それに比べると、キプニス——あの高名なキプニス——が、なんと言う粗笨そほんなことだろう。
これらの句は『虚栗みなしぐり』に比して更に一歩を進めたり。『虚栗』の如く粗笨そほんならず、『虚栗』の如く佶屈ならず。しかれども句々なほ工夫の痕跡ありて、いまだ自然円満の域に達せず。
古池の句の弁 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
近代ほど罪の意識の鈍くなった時代は無い。女の皮膚の感触の味を感じ分ける能力は、驚くほど繊細に発達した。そして一つの行為の善悪を感じ分ける魂の力はじつに粗笨そほんを極めている。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
くわしい人智も自然の叡智えいちの前にはなお粗笨そほんだと見える。本能から生れるものには何か抗し難い力がある。あの素朴な苗代川の黒物には自然が味方している。
苗代川の黒物 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
それとも、紙のわるさにふさわしい屑が出たかということは、粗笨そほんな主観に立って気に入らない本は出ないようにする快味以上に、未来に向って深刻な意義をもっているのである。
日本文化のために (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
それ以上はこの女の粗笨そほんな記憶を引出すすべもありません。
それ以上はこの女の粗笨そほんな記憶を引出すすべもありません。
晨ちゃんの論文は、大変粗笨そほんでした。
作家らしからぬ粗笨そほんさである。