生暖なまあたたか)” の例文
ところが三月の二十何日か、生暖なまあたたかい曇天の午後のことである。保吉はその日も勤め先から四時二十分着の上り列車に乗った。
お時儀 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
加之空氣も沈靜ちんせいなら光もしんめりしてゐて、自分の鼓動こどう、自分の呼吸こきふさへかすかみゝに響く………だから、眼前にゑて置く生暖なまあたたかい女の氣もヤンワリ周三の胸に通ふ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
そして屍体を窓の外へ突き落としたのだった。屍体といってもまだ生暖なまあたたかいやつが、車輛と車輛の間からレールの上に落ちるが早いか、ザクリとやってしまったのだった。
キド効果 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ぬかのように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋ひとすじごとに風にかれるさままでが目にる。羽織はとくに濡れつくして肌着にみ込んだ水が、身体からだ温度ぬくもり生暖なまあたたかく感ぜられる。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
二人のの母親で、その燃立つようなのは、ともすると同一おなじ軍人好みになりたがるが、あか抜けのした、意気のさかんな、色の白いのが着ると、汗ばんだ木瓜ぼけの花のように生暖なまあたたかなものではなく
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
うち這入はいると足場の悪い梯子段はしごだんが立っていて、そのなかほどから曲るあたりはもう薄暗く、臭い生暖なまあたたか人込ひとごみ温気うんきがなお更暗い上の方から吹き下りて来る。しきりに役者の名を呼ぶ掛声かけごえが聞える。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
生暖なまあたたかき風は急にきたりてその外套がいとうの翼を吹捲ふきまくりぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ある生暖なまあたたかい風の立った午後、わたしはやはり画架に向かい、せっせとブラッシュを動かしていた。モデルはきょうはいつもよりは一層むっつりしているらしかった。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
すると二月の末の或夜、学校の英吉利イギリス語講演会をやつと切り上げた保吉は生暖なまあたたか南風なんぷうに吹かれながら、格別買ひ物をする気もなしにふとこの店の前を通りかかつた。
あばばばば (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
延享えんきょう四年三月の末である。門の外では、生暖なまあたたかい風が、桜の花と砂埃すなほこりとを、一つに武者窓へふきつけている。林右衛門は、その風の中に立って、もう一応、往来の右左を見廻した。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
彼は恐怖と嫌悪けんおとに、わななく歯を噛みしめながら、そっと生暖なまあたたかい寝床をすべり脱けた。そうして素早く身仕度みじたくをすると、あの猿のような老婆も感づかないほど、こっそり洞穴の外へ忍んで出た。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)