生憎あひにく)” の例文
談話はなしが済むと、どんな人でもがついお鳥目てうもくをはずみたくなるものだが、生憎あひにくな事にモツアルトはその折懐中ふところに少しも持合せてゐなかつた。
来た折が生憎あひにくなのか墺地利オオストリヤの首都として予想して居たのに反し優雅なおもむきに乏しい都である。何となく田舎ゐなからしく又何となく東洋じみた都である。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
生憎あひにくその日は日本人はひとりも乗つてゐず、それに例の臨城りんじやう事件が昨夜ゆうべあつたばかりなので、一層さびしいさびしい旅を続けなければならなかつた。
(新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
単物ひとへものからセルへうつる時候で、生憎あひにく其日はむし熱いので、長い幕合を涼みがてら廊下に出て居る人が多かつた。
二黒の巳 (新字旧仮名) / 平出修(著)
生憎あひにく風呂敷は一枚きり持つてゐないんですけれど、袂や懐や、帯の間へ、出来るだけねぢこんで……(男たちまた笑ふ)いゝぢやありませんか、ほんとなんですもの。
雅俗貧困譜 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
すかし見るに生憎あひにく曇りて黒白あやめも分ず怖々こは/\ながら蹲踞つぐみ居ればくだんの者は河原へあがより一人の女を下しコレ聞よ逃亡者かけおちものと昨日から付纒つきまとひつゝやう/\と此所へ引摺ひきずこむまでは大にほね
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
萎びた黒繻子の帶を、ダラシなく尻に垂れた内儀おかみに、『入來いらつしやい。』と聲をかけられたお定は、もうキヤベーヂといふ語を忘れてゐたので、唯『それを』と指さした。葱は生憎あひにく一把もなかつた。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
六月の二十三日と云ふのに海峡の夜風はこほる様に寒い。生憎あひにく良人をつとも自分も外套を巴里パリイに残して来たので思はず身をふるはすのであつた。仕合しあはせな事に浪はまつたく無い。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
生憎あひにくタルボツト氏は従来これまで一度も国祖の旧棲を訪ねた事が無いので、一寸方角が立たなくなつた。
蒲田で乗換へた品川行の電車が生憎あひにく混雑して居つて、腰をかける席もなかつた。種田君の病体では釣革をたよりに立つて居るのが苦しさうであつた。中途でしやがんだりしてやつと品川へついた。
二黒の巳 (新字旧仮名) / 平出修(著)
聞て夫は忝けないが生憎あひにく今日は少々差掛さしかゝりたる用事のあるゆゑ何れ又此後のことに致すべしと申しけるに辨慶は打笑うちわらひコウ/\文さん其樣にかせぐには及ぶまじ今よりもらひに出るにはおそし是非々々來なせへとせはしなく云ひければ文右衞門いやわたしは今から稻葉丹後守樣の御屋敷まで參らねばならぬ用事があると云に辨慶はなほ門口かどぐち
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
岡野氏はその前房州へ往つた折、うまい松魚かつをを食はされたが、生憎あひにく山葵が無くて困つた事を思ひ出して、出がけに出入でいりの八百屋から山葵をしこたま取寄せる事を忘れなかつた。
生憎あひにく檀那だんなは居ませんよ。」