激湍げきたん)” の例文
六月一日の鮎漁解禁に、白泡を藍風に揚げる激湍げきたんの岩頭に立って竿を振る人々が、昨年よりも一層数を増したのも当然のことと思う。
香魚の讃 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
木曾の溪山は十數里、其特色たる、山に樹多く、けい激湍げきたん多く、茅屋ばうおく村舍山嶰さんかい水隈すゐわいに點在して、雲烟の變化殆どきはまりなきにありといふ。
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
全体の調子から、やはり垂水たるみをば小滝ぐらいのものとして解釈したく、小さくとも激湍げきたんの特色を保存したいのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
あれほどに激湍げきたん渦を捲いた、維新の政治史に於て、われ/\は此の日本歴史に特有な美談佳話を探さうとするならば、他にもいくつも挙げられるだらう。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
玲瓏れいろうと頭上に輝き渡り、荒川の激湍げきたんいわほえて、眼下に白玉を砕く、暖き春の日ならんには、目を上げて心酔ふべき天景も、吹き上ぐる川風に、客は皆な首を縮めて瞑黙めいもく
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
この蘇川峡のみをもってすれば、その岩相がんそう奇峭きしょうほう耶馬渓やばけい瀞八丁どろはっちょうしんの天竜峡におよばず、その水流の急なること球磨くま川にしかず、激湍げきたんはまた筑後川の或個処あるかしょにも劣るものがある。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
会津の枯木山の方から流れ出て、男鹿へ注ぐ湯西川は、相貌そうぼう甚だ複雑である。激湍げきたん岩をんで、白泡宙空ちゅうくうに散るさま、ほんとうに夏なお寒い。
雪代山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
或は激湍げきたんあわを吹いて盛夏なほ寒しといふ白玉はくぎよくたにがは、或は白簾はくれんにじを掛けて全山皆動くがごとき飛瀑ひばくの響、自分は幾度足を留めて、幾度激賞の声を挙げたか知れぬ。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
激湍げきたん、白い飛沫ひまつ奔騰ほんとうする観音の瀬にかかって、舟はゆれにゆれて傾く。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
長さ一尺、百匁以上に育つのは私の村から上流五里、渋川町地先からさらに上流の激湍げきたんであって、下流の釣り人は渋川町の方まで遠征したのである。
利根川の鮎 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
また凄じく巴渦を巻いた激湍げきたんに花片が絵のやうに淀んでつかへてゐたさまを思ひ起す。
花二三ヶ所 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
この川の、巣の内と打保の間の激湍げきたんで釣れる尺鮎は全国的に有名だが、この川に注ぐ多くの渓流に岩魚釣りの処女地が無数にあるのは、あまり知られていない。
雪代山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
尾谷川の閃々きら/\と夕日にかゞやく激湍げきたんや、三ツ峯の牛のたやうに低く長くつらなつて居る翠微すゐびや、なほ少し遠く上州境の山が深紫の色になつてつらなわたつて居る有様や、ことに、高社山かうしやざんすぐれた姿が
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
三月中旬の北風の吹くある寒い日に、三歳になる子供を連れて、奥利根の沼田と岩本の中間にある曲っ滝へ山女魚やまめ釣りに行った。曲っ滝は利根川の流程八十里のうち、最も名高い激湍げきたんである。
利根川の鮎 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
激湍げきたんに釣ろう。そして、夕食の膳に一献を過ごそうではないか。
香魚の讃 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)