江丸えまる)” の例文
ここでは国見岳(四四二〇尺)が正面に見え、左に妙見右に江丸えまると外輪山が、環状に堵列とれつして普賢ふけんむかっている有様ありさまがよく分かる。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
なみ江丸えまるとは、れい反古はご新聞しんぶんしるされてつたで、はじめ、大佐たいさ一行いつかうこのしませて一大いちだい帆前船ほまへせん、あゝ、あのふねも、いまなにかの理由りいうで、この海岸かいがんにあらずなつたかと
はしつめに、——丹後行たんごゆき舞鶴行まひづるゆき——すみ江丸えまる濱鶴丸はまづるまる大看板おほかんばんげたのは舟宿ふなやどである。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
また野母のも半島を越して玄界灘の水平線と思わるるかすみの奥に、五島列島が淡く並んで見える。国見と江丸えまる山の彼方には、有明海が彎曲して現れる。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
なみ江丸えまるさへ無事ぶじであつたら、わたくしうまかぢをとつて、ぐに日本につぽんまでおくつてあげるのだが、此前このまへ大嵐おほあらしばんに、とうとういそ打上うちあげられて、めちや/\になつて仕舞しまつたから
高岩岳を外輪山とする西雲仙火山と、普賢岳を中央火口丘とし、国見、妙見、江丸えまるとうを外輪山とする東雲仙火山との交錯から出来上っている連峰を指すのである。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
『あゝ、此樣こんときに、せめてなみ江丸えまる無難ぶなんであつたらば。』と武村兵曹たけむらへいそうかほた。