歌沢うたざわ)” の例文
旧字:歌澤
私はもし何か、長唄ながうたとか清元きよもと歌沢うたざわのお稽古けいこでも出来るようなのんきな時間があったとしたら、私はこのラッパの稽古がして見たい。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
その人こそ現今いまも『朝日新聞』に世俗むきの小説を執筆し、歌沢うたざわ寅千代の夫君として、歌沢の小唄こうたを作りもされる桃水とうすい半井なからい氏のことである。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
やむを得ずんば、観世かんぜなり、宝生ほうしょうなり、竹本なり、歌沢うたざわなり、しばらく現今衆心のおもむくところにしたがい、やや取捨を加え、音節を改めば可ならん。
国楽を振興すべきの説 (新字新仮名) / 神田孝平(著)
こうした過程を経まして、今日では、地唄じうた歌沢うたざわ端唄はうたと同じ様に、純然たる家庭音楽になっているのでございます。
とらと言って清元きよもとようの高弟にあたり、たぐいまれな美音の持ち主で、柳橋やなぎばし辺の芸者衆に歌沢うたざわを教えているという。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一等室のをんな給仕が三味線をつて引き、端唄はうた手踊てをどり、茶番、仮色こはいろ、剣舞、手品などの続出した中で、徳永の鼻糞まろめ、長谷川の歌沢うたざわ、三好のハモニカ
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
歌沢うたざわの或るもののうちに味わわれる渋味も畢竟ひっきょう清元きよもとなどのうちに存する「いき」の様態化であろう。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
……墨堤の桜……ボート競漕……川開きの花火……両国の角力すもうや菊……さては又、歌沢うたざわの心意気や浮世絵に残る網舟……遊山船、待乳まつち山の雪見船、吉原通いの猪牙船ちょきぶね……群れ飛ぶ都鳥……。
乃至ないし歌沢うたざわのようなものでも、一つ位は覚えているのも悪くないものだぜ。
彦太には、後で聞いた知識だったが、旗本隠居の金十郎を中心にしてるこの社中は、江戸の破歌を革命して、歌沢うたざわという低徊趣味な小唄をおこそうとして、ひどくり固まっている連中だった。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
開演時間になって、朝日の半井君と、いま一人歌沢うたざわの好きな老人、万朝の中内、石井両君、都の何とかいう人たちがドヤドヤと入ってきて席を取る。間もなく幕が上がると、吉備舞きびまいが始まった。
美音会 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
新内しんないとか端唄はうたとか歌沢うたざわとか浄瑠璃じょうるりとか、すべてあなたのよく道具に使われる音楽が、其上に専門的な趣をもって、読者の心を軽くつ哀れに動かすのは勿論もちろんの事ですから申し上げる必要もないでしょう。
木下杢太郎『唐草表紙』序 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「あら本当よ、槇町まきちょうにいたじぶんだって、近所の娘さんたちに騒がれたってこと知ってるわ、歌沢うたざわのお師匠さんのことだって、……いやよあたし、これからもしそんなことがあったらあたし生きちゃいないわ、ねえ、いいこと」
寒橋 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
彼女は羽左衛門と、三下さんさがり、また二上にあがりの、清元きよもと、もしくは新内しんない歌沢うたざわの情緒を味わう生活をもして来た。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
かつその変位の程度は長唄ながうたにおいてはさほど大でないが、清元きよもとおよび歌沢うたざわにおいては四分の三全音にも及ぶことがあり、野卑な端唄はうたなどにては一全音を越えることがある。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)