あはれ)” の例文
貫一は知らざる如く、彼方あなたを向きて答へず。仔細しさいこそあれとは覚ゆれど、例のこの人の無愛想よ、と満枝はよそに見つつもあはれ可笑をかしかりき。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
あはれむやうな千種の眼が、ちらりとこつちを見た。と、同時に彼女は、袂で顔をおほつた。肩が大きく揺れてゐるだけである。
双面神 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
然りと雖も彼が酒を嗜む太甚はなはだしきに至りし所以のもの実に其父を喪ひたる無限の憂愁を散ぜんとするに由る。果して然らば彼の志亦あはれむべき也。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
... 此様な作に執着しうちやくがあるやうじや、俺もあはれな人間だ………」と思ふ。そして、「あゝ。」と萎頽がツかりしたやうな歎息ためいきする。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
かくの如く、自分をあはれむの情は、かれの空想的の死を一層合理的なものとなし、且また悲壯的のものとなした。
少年の死 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
私は自分の義務と信ずる所を行ふ外には、あはれみも悔いも知らぬ男にむかつて訴へた。彼は續けて云つた——
あはれむべし、燈火は客を守るべき職に忠信にして、客は臥中にあれども既に無きを知らざるなり。
松島に於て芭蕉翁を読む (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
おん身等もかしこに跪きては、慈悲を願ひ給ふならずや。我はおん身等に對して何のつみをもおかしゝことなし。我髮の白きをあはれみ給はゞ、つゝがなく家に歸らしめ給へといふ。
我は久遠くをんの真理をたづね、妻は現世げんぜの虚栄に奔る。我深く妻をあはれめども妻の為に道を棄て、親を棄て、己れを棄つる能はず。真実二途なし。乃ち心を決して相別る。その前後の歌。
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
英吉利イギリス留学の三年間、予がハイド・パアクの芝生に立ちて、如何に故園こゑん紫藤花下しとうくわかなる明子をおもひしか、或は又予がパルマルの街頭を歩して、如何に天涯の遊子たる予自身をあはれみしか
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
……外の兄弟は皆んな好きな學問をしてゐるのに、辰さんばかりは一生こんな汚い村の先生をして暮すんだもの、可哀さうだ。お父さんが不公平だと、兄の身の上を不仕合せな人としてあはれんだ。
入江のほとり (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
人殺ひとごろしをあはれむはひところすにひとしいわい。
さるはひとり夫のみならず、本家の両親をはじめ親属知辺しるべに至るまで一般に彼の病身をあはれみて、おとなしき嫁よとそやさぬはあらず。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ロチスター氏と彼の運命にをのゝき、深いあはれみで彼を哀しみ、絶えざる憧れを以て彼を呼び、恰ら雙の翼を碎かれた小鳥のやうに空しく、なほも打たれた翼を顫はせながら
まことに宜給ふ如し。されどそを憂へずして、彼家々にめる人の笑ひ樂みて日を送れるこそ神の惠ならめ。神はあはれむべき人類のために、おそろしき地下のさまを掩ひ隱し給ふとおぼし。
独り茶山の彼が才を愛して其薄命をあはれみ誦讐応和以て日を度るあるのみ。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
「宮!」とふるつて呼びしかど、あはれむべし、その声は苦きあへぎの如き者なりき。我と吾肉をくらはんと想ふばかりにあせれども、貫一は既に声を立つべき力をさへ失へるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
歌の聲にむれば、石垣の頂には日の光かゞやき、「カツプチノ」僧二三人蝋燭をりて卓より卓に歩みゆきつゝ、「キユリエ、エレイソン」(主よ、あはれめ)と歌へり。僧は十字架に來り近づきぬ。