“憑(たの)” の例文
憑(たの)みつる君は、此の国にては一一六由縁(ゆゑ)ある御方なりしが、人の讒(さかしら)にあひて領(しる)所をも失ひ、今は此の野の隈(くま)に侘(わび)しくて住ませ給ふ。
強さのない所に、憑しさは出て来ない。真の文学と信じ、その表現する所が、吾々の規範に出来ると憑(たの)む気持ちにはなれない。
『抱朴子』に曰く、鼠寿三百歳なり、百歳に満つる時は色白く、善く人に憑(たの)みて下る、名を仲という。一年中の吉凶および千里外の事を知る云々。
「人間の皮をかぶっただけの畜生を、ひとつ宮方だの、やれ同志のと憑(たの)んで、こんなもくろみを立てたおれもまた、日本一の大不覚人というべきだ。かんべんしてくれい」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高光る 日嗣(ひつぎ)の皇子(みこ) 厩戸(うまやど)の 聖(ひじり)の王(おほぎみ) 険(けは)し世に 生(あ)れましまして はらからと 憑(たの)む臣(おみ)らが 由々しくも 惑へるなかに いかさまに 嘆きませるか 畏(かしこ)くも 斑鳩の里 うち日さす 宮居(みやい)さだめて 飛ぶ鳥の 明日香(あすか)のみ代ゆ あかつきの 道うちひらくと 夢殿に ひとりこもらせ 夕されば 法(のり)のきはみを
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
千鳥足で囀(さえず)り散らし何の考えもなくただただ斥候の用心深きを憑(たの)んで行くものと見ゆ、若猴数疋果を採らんとて後(おく)るれば殿士来って追い進ましむ。
秋にもなりしかど風の便りもあらねば、二九世とともに憑(たの)みなき人心かなと、恨みかなしみ三〇おもひくづほれて
崖頂まで大蛇の仲継を憑(たの)まにゃならぬとは不似合な話だが、呉の劉綱その妻樊(はん)氏とともに仙となり、大蘭山上の巨木に登り鋳掛屋(いかけや)風の夫婦連(づれ)で飛昇したなどその例多し。
かく詣でつかうまつるは、一一一憑(たの)みつる君の御迹(あと)にて、いついつの日ここに葬(はうむ)り奉る。
この蝮は平生頭のみ露わして体を沙中に埋め、その烈毒を憑(たの)んで猥(みだ)りに動ぜず。人畜近くに及び、わずかに首を擡(もた)ぐ。人はもとより馬もこれに咬まるれば数時の後斃(たお)る。
従前敵が来るとこの滝の前に上陸せしめず海際で戦うたが、明日は汝らを強く憑(たの)むから上陸させて戦うて我堪えがたくならば汝らに目を見合すその時箭(や)のあらん限り射たまえと
しかしついには魔王の前功を懐(おも)うて復職され、この世はその掌握に帰すべしといいて、ひたすら魔王を拝み憑(たの)む。復活祭にキリストを祭るにただ一羊を牲するに、魔王の祭祀には三十羊を牲す。
二の矢を番(つご)うて、一分も違(ちが)へず、わざと前の矢所(やつぼ)をぞ射たりける、この矢もまた、前のごとくに躍り返りて、これも身に立たざりけり、秀郷二つの矢をば、皆射損じつ、憑(たの)むところは矢一筋なり
途上で我が叔父(母の兄弟らしい)世を捨て仙人となり居る者ありと聞くから、その人を憑(たの)もうと惟(おも)い、山を分けて尋ね往く最中、王の使いまた追い来って捕えかかる故、決心して谷へ身を投げた。
親の付けた名をうっかり夫と憑(たの)む人のほかに知らさなんだからだ。
何とか脱(のが)れようをと案じて、かつて相(あい)識(し)った王舅に憑(たの)みて救済を乞わんと決心し、婢をして告げしめしは、かくかくの次第で、妾迂闊(うかつ)の難題を承諾したが、何が何でも五百人は一身で引き受けがたい