宇陀うだ)” の例文
ね、昔は吉野の花見と云うと、今のように道がひらけていなかったから、宇陀うだ郡の方を廻って来たりして、この辺を通る人が多かったんだよ。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
これは吉野の國栖くずの祖先です。それから山坂を蹈み穿うがつて越えてウダにおいでになりました。依つて宇陀うだのウガチと言います。
宇陀うだしろにしぎなわをかけて待っていたら、しぎはかからないで大くじらがかかり、わなはめちゃめちゃにこわれた。ははは、おかしや」
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
大和宇陀うだ郡などで野菜をサイクサというのも、事によると一度このサエンという語を通って来ているのであろう。
食料名彙 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
宇陀うだの法師」の昔のままの音を朱雀すざく院は珍しくお聞きになり、身にしむようにもお感じになった。
源氏物語:33 藤のうら葉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
西峠は一名を「墨坂」という、「墨坂」の名は古代史にあらわる。「鳥立とだちたづぬる宇陀うだ御狩場みかりば
法諱おんなを聞けばそのころの三歳児みつごも合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀うだ朗円上人ろうえんしょうにんとて、早くより身延みのぶの山に螢雪けいせつの苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
宇陀うだ浅間山せんげんやま北條彦五郎ほうじょうひこごろうという泥坊が隠れていて、是は二十五人も手下の者が有るので、合力ごうりょくという名を附けて居廻いまわりの豪家ごうかや寺院へ強談ごうだんに歩き、沢山な金を奪い取るので
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
神武天皇の大和の宇陀うだたれた際には、敵の兄磯城エシキ弟磯城オトシキの側にも、天皇の方にも、男軍ヲイクサ女軍メイクサが編成せられていた。「いくさ」という語の古い用語例は軍人・軍隊という意である。
最古日本の女性生活の根柢 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
宇陀うだの法師』に芭蕉の説なりとて掲げたるを見るに
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
(こは吉野の國巣一一が祖なり。)其地そこより蹈み穿ち越えて、宇陀うだ一二に幸でましき。かれ宇陀うだ穿うがちといふ。
命は、そこから、いよいよけわしい深い山をみ分けて、大和やまと宇陀うだというところへおでましになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
「さて、明日は大和へ入って萩原はぎわらへ泊る、それから宇陀うだの松山へ出ようか、初瀬はつせへかかろうか」
宇陀うだの法師に芭蕉の説なりとて掲げたるを見るに
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
また宇陀うだ墨坂すみさかの神に赤い色のたてほこを獻り、大坂の神に墨の色の楯矛を獻り、また坂の上の神や河の瀬の神に至るまでに悉く殘るところなく幣帛へいはくを獻りました。
「どうも、あの宇陀うだの山を南に吉野山中に迷い込みはせぬかと思われる。ただいま人をかけて行方ゆくえを捜索中であるが、もしあの山中へ迷い込んだことなら、容易に見つからぬ」
それからまたその宇陀うだをおたちになって、忍坂おざかというところにお着きになりますと、そこには八十建やそたけるといって、あなの中に住んでいる、しっぽのはえた、おおぜいのあらくれた悪者どもが
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
この時に宇陀うだにエウカシ・オトウカシという二人ふたりがあります。依つてまず八咫烏やたがらすを遣つて、「今天の神の御子がおいでになりました。お前方はお仕え申し上げるか」
また宇陀うだ墨坂すみさかの神に、赤色の楯矛たてほこを祭り、また大坂おほさかの神一〇に、墨色の楯矛を祭り、またさか御尾みをの神、かはの神までに、悉に遺忘おつることなく幣帛ぬさまつりたまひき。
かれそこより逃れて、宇陀うだ蘇邇そに一二に到りましし時に、御軍追ひ到りて、せまつりき。