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城址
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じょうし
ふりがな文庫
“
城址
(
じょうし
)” の例文
この書の中にある小諸
城址
(
じょうし
)
の附近、
中棚
(
なかだな
)
温泉、浅間一帯の傾斜の地なぞは君の記憶にも親しいものがあろうと思う。
千曲川のスケッチ
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
地図の一は武田氏の旧
城址
(
じょうし
)
と、その出城の位置を考証したものであり、他の一は甘利郷の略図らしかった。
山彦乙女
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
今もその
城址
(
じょうし
)
には立派な城門や
櫓
(
やぐら
)
が残り、花の季節などには絵のようであります。雪に深い町でありますから、店の前に更に
軒
(
のき
)
を設けて雪よけの囲いをします。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
苗木の
城址
(
じょうし
)
はこれに対して高く頂上の岩層にうら
寂
(
さ
)
びた疎林がある。日本唯一の
赤壁
(
せきへき
)
の城の
趾
(
あと
)
があれだという。この淵の
主
(
ぬし
)
である
蟠竜
(
ばんりゅう
)
が
白堊
(
はくあ
)
を嫌ったという伝説がある。
木曾川
(新字新仮名)
/
北原白秋
(著)
星巌夫妻の遊跡をその詩賦に徴するに、行徳より道を北に取って、まず
相馬
(
そうま
)
の
城址
(
じょうし
)
を探り、三月十五日の夕暮に
木颪
(
きおろし
)
から舟に乗り月夜利根川を下って暁に潮来に著した。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
▼ もっと見る
甲府の市の北にある武田家
城址
(
じょうし
)
の
濠
(
ほり
)
の
泥鰌
(
どじょう
)
は、山本勘助に似て皆片目であるといいました。
日本の伝説
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
越前
(
えちぜん
)
の
福井
(
ふくい
)
は元
北
(
きた
)
の
庄
(
しょう
)
と云っていたが、越前宰相
結城秀康
(
ゆうきひでやす
)
が封ぜられて福井と改めたもので、其の
城址
(
じょうし
)
は市の中央になって、其処には
松平
(
まつだいら
)
侯爵邸、県庁、裁判所、県会議事堂などが建っている。
首のない騎馬武者
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
その
城址
(
じょうし
)
すなわち平地と少しばかりの石垣が残って居るです。
チベット旅行記
(新字新仮名)
/
河口慧海
(著)
学士は弓を入れた袋や、
弓掛
(
ゆがけ
)
、
松脂
(
くすね
)
の
類
(
たぐい
)
を入れた
鞄
(
かばん
)
を提げた。古い
城址
(
じょうし
)
の
周囲
(
まわり
)
だけに、二人が添うて行く石垣の上の桑畠も
往昔
(
むかし
)
は
厳
(
いかめ
)
しい屋敷のあったという跡だ。
岩石の間
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
ただの
城址
(
じょうし
)
であるならば、もっと雄健なものがあるでしょう。ですが自然と人文とがかくも美しく組み合わさった光景を、日本のどの土地に見出すことが出来るでしょう。
民芸四十年
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
後年に至って、わたくしは
大田南畝
(
おおたなんぽ
)
がその
子俶
(
ししゅく
)
を伴い御薬園の梅花を見て
聯句
(
れんく
)
を作った文をよんだ時、小田原
城址
(
じょうし
)
の落梅を見たこの日の事を思出して言知れぬ興味を覚えた。
十六、七のころ
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
しかし
浦添
(
うらそえ
)
の
城址
(
じょうし
)
から見出される瓦等にも
高麗
(
こうらい
)
の工匠が作ったということが記してあるから、朝鮮との交渉は遥かに古く
溯
(
さかのぼ
)
るのであろう。今の琉球の赤瓦の屋根は、朝鮮風な所が著しく見える。
現在の日本民窯
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
“城址”の意味
《名詞》
城 址(じょうし)
城があった土地のこと。城跡とも。
(出典:Wiktionary)
“城址(
城跡
)”の解説
城跡(しろあと、じょうせき)とは、その土地に城があった跡のこと。城址、城趾(しろあと、じょうし)とも呼ばれる。
(出典:Wikipedia)
城
常用漢字
小4
部首:⼟
9画
址
漢検1級
部首:⼟
7画
“城”で始まる語句
城
城砦
城下
城廓
城普請
城塞
城戸
城山
城跡
城壁