ひかる)” の例文
苔井こけゐのきわの柿の木に唯一ツ、ひかる程じゆくした實の重さうに見へる、右の方は萩垣はぎかきにしきりて茶庭ら敷折々琴の昔のもるゝもゆかし。
うづみ火 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
女御が自慢にし、ほめられてもおいでになる幼内親王方の美を遠くこえた源氏の美貌びぼうを世間の人は言い現わすためにひかるきみと言った。
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)
椿つばきの葉にて私のをさなき時に乳母がせしやうひかる草履ぞうりつくりてやりたくと、彼の家の庭をあやにくや見たうも/\思へど、私はゆかず候。
ひらきぶみ (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
けれどもなお、一枚一枚と見てゆくうちに、お雪ちゃんを憎らしいと思う心が、いつか知らず絵本の中の主人公に溶け込んで、ついには今様源氏のひかるきみが憎らしくなりました。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
信重の子嵩山正直すうざんまさなほの弟杏朴成俊きやうぼくなりとしは、信道五世の孫ひかるの養子となつて水津氏にかへり、成俊の子成豊は水津氏を継ぎ、其弟正俊が又養はれて嵩山の子となつた。即ち錦橋の祖父である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ひかるきみそでにちる。
どんたく:絵入り小唄集 (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)
古尾谷こをたにさんが私の出たあとへ来て下すつたさうである。某々二氏の土産みやげのお菓子を桃が見せた。ひかる今日けふいて来たのは男雛をとこひなであつた。
六日間:(日記) (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
ひかるの君という名は前に鴻臚館こうろかんへ来た高麗人こまうどが、源氏の美貌びぼうと天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)
次に正直の弟を杏朴成俊きやうぼくなりとしと云ひ、これが信道五世の孫ひかるの養子となつて水津氏にかへり、成俊の子に成豊なりとよ、正俊があつて、兄成豊は水津氏を継ぎ、弟正俊が又養はれて嵩山の子となつたのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
土曜日であるからひかるひいづは午後一人は木下さんへ、一人は本多さんへ遊びに行つた。三時過ぎにやつと選歌の原稿が出来た。
六日間:(日記) (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
ひかるを見ておつやさんが母と叔母の前で陰陽かげひなたをすると云つて罵しつておいでになつた日には、私は思はずヒステリーに感染したはづかしい真似をしました。
遺書 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
雨の中へ重いひかるを抱いて出まして、叔母さんがこはいから逃げてきませうなどと云ひました。私を介抱して下すつたのは春夫さんと菽泉しゆくせんさんでした。
遺書 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
ひかるはそんなのですから、荒々しくて優しい趣味の乏しく思はれるやうな男の友より女の友と遊ぶのをよろこんで居ます。
遺書 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
大連きの支度で忙しさうであつた。森さんへ伺つて二階のお座敷で一時間程先生とお話をした。曙町の藤島さんへ行つたらもうひかるの帰つたのちであつた。
六日間:(日記) (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
ひかるおばあ様を見覚えをり候はずなく、あたり皆顔知らぬ人々のみなれば、私のひざはなれず、ともすればおとうさんおとうさんと申して帰りたがりむづかり候に
ひらきぶみ (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
渋谷のステーシヨンにては、巡査も神主様も村長様も宅のひかるまでもかく申し候。かく申し候は悪ろく候や。
ひらきぶみ (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
そのなかにひかるの顔の白
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
それひかるさん
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
中にもひかる
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)