すけ)” の例文
将門が検非違使けびゐしすけたらんことを求めたといふことも、神皇正統記の記事からで、それは当時の武人としては有りさうな望である。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
その上にも、鎌倉からは、長井遠江守、長崎孫四郎、南条高直、雑賀隼人さいかはやとすけらが、ぞくぞく応援のため、軍兵ぐんぴょうをつれて上洛もしている今。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとへに御頼み申なりと言ければすけ十郎は合點うなづき何樣なにさま御尤も至極なれば早々郷右衞門お島ともに申合せ取計ふべけれども御兄弟を救ひ出せし上御二方を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
すけを呼び出して、源氏は姉君へ手紙をことづてたいと言った。他の人ならもう忘れていそうな恋を、なおも思い捨てない源氏に右衛門佐は驚いていた。
源氏物語:16 関屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
一柳右近将監しょうげんが江戸大納言へ、服部采女正うねめのしょうが越後宰相へ、渡瀬左衛門すけが佐竹右大夫へ、明石左近が小早川左衛門佐へ、前野但馬守と長子出雲守とが中村式部少輔しきぶしょうゆうへ、等で
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ここにも、庁の長官たる「別当」の下に、次官として「すけ」がおかれ、その下に「左衛門」「右衛門」「じょう」の三階級がある。
とく取糺とりたゞせし上はかくも相分るべしと有しかば越前守殿承知仕つるとて退出たいしゆつ早速さつそくすけ十郎郷右衞門の兩人を呼出されたり
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
源氏に従って寺へ来ずに、姉夫婦といっしょに京へはいってしまったことをすけは謝した。
源氏物語:16 関屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
と云う訳にも行くまい、そこは一介の左兵衛すけの方が気楽だと、そう思って安心していたので、あんな工合に、衆人環視の中に於いて堂々と人妻をさらって行くような派手なことが可能であろうとは
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その高倉の館を見舞って、むなしげに二条の営へもどってきた弟の脇屋右衛門ノすけ義助は、すぐ自分をかこんで問う諸将へむかって言っていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すけ十郎郷右衞門の兩人に盜みいださせしに相違あるまじすれば先づ三河町二丁目の惣右衞門が方を尋ねるべしと有て早速孕石はらみいし源兵衞安井伊兵衞の兩人を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
四山の松風に吹かれながら「こんな景色のいい所に、すけつぼねと一しょに住んでいるなら、私だったら何年いてもいいです」
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
重衡の北の方、大納言すけ殿は、もう泣いているばかりで、はかばかしい返事も書けないのであった。
右衛門ノすけ義助は、ちらと顔いろを変えた。——このごろ彼の耳へも入っていたことがある。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
右衛門ノすけ義助が、三条高倉を辞して、やがてまもない後である。この陣布令じんぶれは、洛中に散在している諸武家のたむろへ、触れ廻され、戞々かつかつの駒音が、夜どおし、都大路に鳴っていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新田左中将義貞、子息義顕よしあき、脇屋右衛門ノすけ義助、一子式部大輔だゆう義治よしはる
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「弟の右衛門うえもんすけ義助も打ち連れて、三名これへ見えまする」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のぼされ、弟の脇屋義助わきやよしすけは、右衛門うえもんすけとなった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
右衛門ノすけ脇屋義助が
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すけどのうっ。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すけどの」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すけ