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ひとまろ
ふりがな文庫
“
人麿
(
ひとまろ
)” の例文
それと
共
(
とも
)
に、
人麿
(
ひとまろ
)
の
歌
(
うた
)
だと
傳
(
つた
)
へられてゐないもので、
人
(
ひと
)
のために
代
(
かは
)
つて
作
(
つく
)
つた、この
人
(
ひと
)
の
歌
(
うた
)
も
非常
(
ひじよう
)
にたくさんあるようにおもひます。
歌の話
(旧字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
先ず日本で言えば、
芭蕉
(
ばしょう
)
や、
人麿
(
ひとまろ
)
や、
西行
(
さいぎょう
)
やが、そうであった。彼等は人生の求道者であり、生涯を通じてのロマンチックな旅行家だった。
詩の原理
(新字新仮名)
/
萩原朔太郎
(著)
あるいは「仇」「敵」という意味の「あだ」は昔は「あた」で
人麿
(
ひとまろ
)
の歌の「あたみたる
虎
(
とら
)
が
吼
(
ほ
)
ゆる」の「あた」を清音の仮名で書いてあります。
古代国語の音韻に就いて
(新字新仮名)
/
橋本進吉
(著)
歌でも
詠
(
よ
)
めたら、ひとつ
人麿
(
ひとまろ
)
と腕っ比べをしてやるところだった。あはははは。そらもひとつお代わりだ
小説 不如帰
(新字新仮名)
/
徳冨蘆花
(著)
「それは御同様ですよ。また思うように
和歌
(
うた
)
が出来た日には、
人麿
(
ひとまろ
)
や、
貫之
(
つらゆき
)
が泣きますからね」
大菩薩峠:23 他生の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
▼ もっと見る
万葉に、「天皇幸于吉野宮」とある天武天皇の吉野の離宮、———
笠朝臣金村
(
かさのあそみかなむら
)
のいわゆる「
三吉野乃多芸都河内之大宮所
(
みよしぬのたぎつこうちのおおみやどころ
)
」、三船山、
人麿
(
ひとまろ
)
の歌った秋津の
野辺
(
のべ
)
等は、
皆
(
みな
)
この宮滝村の近くであると云う。
吉野葛
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
その時の正胤から半蔵に贈られたものである。
本居宣長
(
もとおりのりなが
)
の筆になった
人麿
(
ひとまろ
)
の画像もなつかしいものではあったが、それにもまして正香をよろこばせたのは、画像の上に書きつけてある柿本大人の
賛
(
さん
)
だ。
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
がこの
人
(
ひと
)
の
功勞
(
こうろう
)
は、それには
限
(
かぎ
)
りません。
實
(
じつ
)
のところは、
人麿
(
ひとまろ
)
が
出
(
で
)
て、
短歌
(
たんか
)
といふものが、
非常
(
ひじよう
)
に
盛
(
さか
)
んになつたのであります。
歌の話
(旧字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
かとりの海と
人麿
(
ひとまろ
)
は詠みました、かとりといえば、たれしもが当然、
下総
(
しもうさ
)
常陸
(
ひたち
)
の
香取
(
かとり
)
鹿島
(
かしま
)
を聯想いたします、はるばると
夷
(
えびす
)
に近い香取鹿島の
大海原
(
おおうなばら
)
に、大船を浮べて碇泊した大らかな気持
大菩薩峠:39 京の夢おう坂の夢の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
この
歌
(
うた
)
は、
持統天皇
(
じとうてんのう
)
のお
伴
(
とも
)
をして、
雷
(
いかづち
)
の
岳
(
をか
)
——また、
神岳
(
かみをか
)
ともいふ——へ
行幸
(
ぎようこう
)
なされた
時
(
とき
)
に、
人麿
(
ひとまろ
)
が
奉
(
たてまつ
)
つたものなのです。
歌の話
(旧字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
“人麿(
柿本人麻呂
)”の解説
柿本 人麻呂(かきのもと の ひとまろ)、斉明天皇6年(660年)頃 - 神亀元年(724年)3月18日)は、飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人と共に歌聖と呼ばれ、称えられている。三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。
(出典:Wikipedia)
人
常用漢字
小1
部首:⼈
2画
麿
漢検準1級
部首:⿇
18画
“人”で始まる語句
人
人間
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