中庸ちゅうよう)” の例文
その中庸ちゅうように彼の理想はあった。——だから彼は、軍務、警察をかねた侍所などには和田義盛といったような、もっとも剛骨な武人を別当として
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あの優れた中庸ちゅうようへの本能だ。いついかなる場合にも夫子の進退を美しいものにする・見事な中庸への本能だ。」と。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
孔子は恠力乱神かいりょくらんしんを語らずといい給えども左伝さでんには多く怪異の事をせたり又中庸ちゅうように国家まさおこらんとすれば禎祥ていしょう有り国家まさほろびんとすれば妖孽ようげつありと云うを
怪談牡丹灯籠:02 序 (新字新仮名) / 総生寛(著)
いずれへか片づけなければならないように人間が出来上っていると思うのは中庸ちゅうようを失した議論であります。
創作家の態度 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
思想に於て左傾と右傾とを区別するも、中庸ちゅうようがあればこそ両者間に差別が起るのである。
東西相触れて (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
英国のふうは米国のような自由結婚でもなし、仏蘭西辺ふらんすへんのような圧制主義でもなし、ちょうどその中庸ちゅうようを得て親が娘のために毎週一度位若い男を家へ招いて身分相応の御馳走ごちそうをします。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
彼等の幸福が保障ほしょうされるであろうか、と心配するが、中庸ちゅうようのかねあいというものがあるから、勇気をふるい、乃至は蠻気ばんきをふるって、彼等にはその行き途をなるべく自分できめさせ
親は眺めて考えている (新字新仮名) / 金森徳次郎(著)
この中庸ちゅうようをとって慈愛を施しつつかつ厳格なる態度も維持しつつ教育するということは必要ですけれども、チベット教育はあるいは過ぎあるいは及ばぬかというたような遣り方ばかりです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
また薄気味のわるい程の中庸ちゅうようを得たどっちつかずの思慮深い男であったところから、公事訴訟くじそしょう一つも起らず治績また頗る挙ったために、領民共その徳風に靡いて、いつのまにか前記のごとく
たとえば、中庸ちゅうようにせよ、論語にせよ、二十歳代に読んだのと、三十代、四十代になって読むのとでは、大いな差がある。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そう、むきになって考えたら、僧院の中に住めるものか、よろしく中庸ちゅうようを得てゆくことだ、たとえば、大乗院へこもり込んだ範宴少僧都などをみるがよい」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこには、論語ろんご中庸ちゅうよう、史記、貞観政要じょうがんせいよう六韜りくとうなどの漢書やら、延喜式えんぎしき吾妻鏡あずまかがみなどの和書もあった。中でも、愛読の書は、論語と中庸の二書であり、和書では、吾妻鏡だった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
常陸はずんと風もあらい、地もあらい、人も荒削あらけずりじゃが、剛毅ごうきというやつが骨太ほねぶとに坐っておる。こう二つのものの中庸ちゅうようを行って、よく飽和ほうわしているのが大石大夫の人がらじゃと、わしは思うが
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中庸ちゅうよう地相ちそうくるわをひかえ、梅沢うめざわのすそに出丸でまるをきずき、大丹波おおたんばには望楼ぼうろうをおき、多摩たま長流ちょうりゅうほりとして、沢井さわい二俣尾ふたまたお木戸きどをそなえれば、武蔵野原むさしのはらつる兵もめったに落とすことはできない
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう一益が、中庸ちゅうようを取ったので、論議はんだ。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佐久間右衛門などは、その中庸ちゅうようを行く説で
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中庸ちゅうよう。それは予の生活の信条でもある」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中庸ちゅうよう
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)