“しげん”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
四絃23.1%
士元15.4%
始元7.7%
子彦7.7%
子玄7.7%
志玄7.7%
思元7.7%
至元7.7%
至玄7.7%
至言7.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「何をいかるやいかの——にわかげきする数千突如とつじょとして山くずれ落つ鵯越ひよどりごえ逆落さかおとし、四絃しげんはし撥音ばちおと急雨きゅううの如く、あっと思う間もなく身は悲壮ひそう渦中かちゅうきこまれた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
また龐統子は士元しげんと称し、この人は、私の師父よりまだ五歳ほど若く、この間もふたりして、先生の庵にやって来ました。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後五年、昭帝の始元しげん六年の夏、このまま人に知られず北方に窮死きゅうしすると思われた蘇武そぶが偶然にも漢に帰れることになった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
霞亭に、惟長でない今一人の弟があつて、名はげんあざな子彦しげん、通称は内蔵太郎くらたらうと云つた。彦は天明四年生で、此年五歳であつた。霞亭が文化戊辰に著した文の渉筆中に収められたものはかうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
(しかし千葉子玄しげんの『芸閣うんかく先生文集』(三巻)を見るに平洲は向柳原むこうやなぎわらなる幕府天文台の近くに住居していた事がある。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
志玄しげんという僧があったが、戒行かいぎょうの厳しい僧で、法衣も布以外の物は身にけない。また旅行しても寺などに宿を借らないで、郭外こうがいの林の中に寝た。ある時縫州城ほうしゅうじょうの東十里の処へ往って墓場へ寝た。
老狐の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
長崎ノ入道思元しげんと、その子、為基ためもとのふたりも、辻の一手を防いでいたが、そのうちに父思元が、扇ヶ谷の黒煙を見て、その方へ行きかけると、為基が
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
姚忠粛ちょうちゅうしゅくげん至元しげん二十年に遼東りょうとう按察使あんさつしとなった。
英雄のたくましさがあるが、玩味がんみし来って、なんの残糟ざんそうも留めず、さながら寒潭かんたんを渡る雁、竹林を過ぐる風の如く、至玄しげん、至妙の境地に徹しているのは驚くべきである。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
さかええよかしでいははれてよめに来たのだ、改良竈かいりやうかまどと同じくくすぶるへきではない、苦労くらうするなら一度かへつて出直でなほさう。いかさまこれは至言しげんと考へる。
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)