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貝塚
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かいづか
ふりがな文庫
“
貝塚
(
かいづか
)” の例文
いまでも、方々から
貝塚
(
かいづか
)
がほりだされたり、矢の根石やいろんな
石器
(
せっき
)
が
発見
(
はっけん
)
されたりするのでも、それがわかります。
あたまでっかち
(新字新仮名)
/
下村千秋
(著)
貝塚
(
かいづか
)
發見
(
はつけん
)
物中に猪の牙を
細
(
ほそ
)
く
研
(
と
)
ぎ
减
(
へ
)
らしたるが如き形のもの有り。其用は未だ詳ならざれど、明かに
貝殼
(
かいがら
)
の一つなり。
コロボックル風俗考
(旧字旧仮名)
/
坪井正五郎
(著)
すなわち半蔵門外の
貝塚
(
かいづか
)
に鎮座ましましていたのですが、時代は徳川お三代の名君家光公のご時世であり、島原以来の
切支
(
きりし
)
丹
(
たん
)
宗徒
(
しゅうと
)
も、長いこと気にかかっていた
豊臣
(
とよとみ
)
の残党も
右門捕物帖:05 笛の秘密
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
先住民族は
貝塚
(
かいづか
)
を残している。彼らの漁場はただ浜べ岸べに限られていたであろうが、船と漁具との発達は漁場を次第に沖のほうに押し広げ同時に漁獲物の種類を豊富にした。
日本人の自然観
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
やがて
其秋
(
そのあき
)
には、
殘
(
のこ
)
らず
貝塚
(
かいづか
)
は
開
(
ひら
)
かれて、
畑
(
はたけ
)
と
成
(
な
)
つて
了
(
しま
)
つたが、それでも
余等
(
よら
)
は
未練
(
みれい
)
に
引
(
ひ
)
かされて、
表面採集
(
ひやうめんさいしふ
)
に
時々
(
とき/″\
)
立寄
(
たちよ
)
るが、
其後
(
そののち
)
とても、
土偶
(
どぐう
)
を
得
(
え
)
、
磨石斧
(
ませきふ
)
を
得
(
え
)
、三十七
年
(
ねん
)
の九
月
(
ぐわつ
)
には
探検実記 地中の秘密:02 権現台の懐古
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
▼ もっと見る
貝塚
(
かいづか
)
即ち
石器
(
せきき
)
時代人民の
掃
(
は
)
き
溜
(
だ
)
めより
宗教上
(
しうけふじやう
)
の物を
發見
(
はつけん
)
すとは如何にも誠しからず聞こゆべしと雖も、
一定
(
いつてい
)
の時日を
經
(
へ
)
たる後、或は一定の
祭祀
(
さいし
)
を終りたる後は
コロボックル風俗考
(旧字旧仮名)
/
坪井正五郎
(著)
それを
幻花子
(
げんくわし
)
がチラと
耳
(
みゝ
)
に
挾
(
はさ
)
んで、
大井村中
(
おほゐむらぢう
)
殘
(
のこ
)
らず
探
(
さが
)
して、
漸
(
やうや
)
く
野中氏
(
のなかし
)
の
寶庫
(
ほうこ
)
を
突留
(
つきと
)
めると
間
(
ま
)
もなく、
貝塚
(
かいづか
)
の一
部
(
ぶ
)
を
開
(
ひら
)
いて
其所
(
そこ
)
に
養鷄場
(
ようけいぢやう
)
を
設立
(
せつりつ
)
する
大工事
(
だいこうじ
)
が
起
(
おこ
)
り、
此期
(
このき
)
を
利用
(
りよう
)
して
土方
(
どかた
)
を
買收
(
ばいしう
)
し
探検実記 地中の秘密:02 権現台の懐古
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
我々は是に
膏藥
(
こうやく
)
の類を入るる事有れどコロボツクルは之を以て
繪
(
ゑ
)
の
具
(
ぐ
)
入れとせしなり。
赤色
(
あかいろ
)
の
繪
(
ゑ
)
の
具
(
ぐ
)
を入れたる
儘
(
まま
)
のはまぐり貝は大森
貝塚
(
かいづか
)
より數個
發見
(
はつけん
)
されたり。
コロボックル風俗考
(旧字旧仮名)
/
坪井正五郎
(著)
“貝塚”の解説
貝塚(かいづか)とは、貝類の常食に適した地に居住する先史時代の人々が、日々ごみとして大量に出る貝殻と他の様々な生活廃棄物と共に長年に亘って投棄し続けることで、それらが累積した特定の場所をいう。貝殻の捨て場所とする以外に、貝の加工場、あるいは塩の生産場の役割を果たした場所とする解釈もある。
(出典:Wikipedia)
貝
常用漢字
小1
部首:⾙
7画
塚
常用漢字
中学
部首:⼟
12画
“貝塚”で始まる語句
貝塚土器
貝塚發掘
貝塚居
貝塚曲玉