“融和(ゆうわ)” の例文
そこが間違っていると云わなければならない。たといこの矛盾を融和(ゆうわ)する事が不可能にしても、それを説明する事はできるはずだ。
私の個人主義 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
狐疑(こぎ)して居(ゐ)るやうな其(その)容貌(ようばう)とは其處(そこ)に敢(あへ)て憎惡(ぞうを)すべき何物(なにもの)も存在(そんざい)して居(ゐ)ないにしても到底(たうてい)彼等(かれら)の伴侶(なかま)の凡(すべ)てと融和(ゆうわ)さるべき所以(ゆゑん)のものではない。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
がその事は秀吉が常に仲に立って、よく双方を融和(ゆうわ)してくれるし、「ああしたご気性」というものを話してくれるので、官兵衛にとっては、寔(まこと)に気が楽だった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日鮮雑居地で、かなり多くの鮮人とわずか四十家族ばかりの日人(にちじん)とが住んでいた。けれど、その日鮮両民族がほんとうに融和(ゆうわ)しているのではなく、各自別々の自治体を構成していた。
そして、「何だツて俺の感情は、此(か)う鋭敏(えいびん)なんだ、恰で蝟(はりねずみ)のやうさな。些とでも觸ツたらプリツとする………だから誰とも融和(ゆうわ)することが出來ないのよ。何故もそツとおツとりしない。」
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
自己完成と衆生済度との、渾然(こんぜん)融和(ゆうわ)した象徴でもあった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
内訌(ないこう)は一時的な紛糾(ふんきゅう)にすぎない。幕府は微動もしない。今日の西方寺の花見の宴はよく世上にそれを映す意味においても心からな人と花との融和(ゆうわ)でなければならなかった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
卯平(うへい)は其麽(そんな)果敢(はか)ない仕事(しごと)でも、彼(かれ)の身體(からだ)が滯(とゞこほ)りなく又(また)勘次(かんじ)との間(あひだ)が融和(ゆうわ)されて居(ゐ)るならば彼(かれ)は好(す)きなコツプ酒(ざけ)の一杯(ぱい)を傾(かたむ)ける序(ついで)に、酒(さけ)を壜(びん)に買(かつ)て勘次(かんじ)に與(あた)へることさへ不自由(ふじいう)を感(かん)じもしなければ
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
一面に文化人と融和(ゆうわ)を計りながら、信長はまた決して、民衆を置き去りにはしなかった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仏教芸術は、貴族生活の殿堂と、ほとんど一つもののように融和(ゆうわ)した。堂塔を建築して、寺院をそのまま家として住むがゆえに出家したような出家は、貴族社会の慣いでさえあった。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは玄徳が人間の本性をふかく観(み)つめ、自己の短所によく慎み、あくまで他人との融和(ゆうわ)に気をつけている温容(おんよう)とも心がけともいえるが、悪く解すれば、容易に他人に肚をのぞかせない二重底
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)