芝翫しかん)” の例文
まだその上に中村芝翫しかんは一月二十五日、美濃の多治見の旅興行先で、法界坊の宙乗りを仕損じて舞台に落ちて、右の足をくじいた。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
五十円で買われて来た市川某尾上某の一座が、団十菊五芝翫しかん其方退そっちのけとばかり盛に活躍する。お米は近眼の彼には美しく見えた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
と、早速奥へ披露ひろうします。歌舞伎座の狂言なども、出し物の変る度びに二三度立ち見に出かけ、直きに芝翫しかん八百蔵やおぞう声色こわいろを覚えて来ます。
幇間 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
気の利いた所が菊五郎きくごろうで、しっかりした処が團十郎だんじゅうろうで、その上芝翫しかんの物覚えのよいときているから実に申分もうしぶんはございません。
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
今の歌右衛門うたえもん福助より芝翫しかんに改名の折から小紋こもん羽織はおり貰ひたるを名残りとして楽屋を去り新聞記者とはなりぬ。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
当時の芝翫しかんが歌舞伎座に反旗を飜してここに立てこもったこともあり、また我輩も先代左団次一座に先代猿之助だの今の幸四郎の青年時代の染五郎等の活躍を見たこともある
生前身後の事 (新字新仮名) / 中里介山(著)
伊勢佐木町の喜楽座へは芝翫しかん高麗蔵こまぞうの一座が、華やかに東京から出開帳にきて開けていた。
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
菊五郎きくごろうであったか、芝翫しかんであったか、この紅勘のことを芝居にしたことがありました
芝翫しかんの五右衛門、大百だいびゃくに白塗立て、黒天鵞絨くろビロウド寛博どてら素一天すいってん吹貫ふきぬき掻巻かいまきをはおり
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
先代彦三郎の原田甲斐かい、仙台綱宗、神並父五平次、先代芝翫しかんの松前鉄之助と仲間嘉兵衛、助高屋高助の浅岡、板倉内膳正、塩沢丹三郎、先代菊五郎の片倉小十郎、神並三左衛門、茶道珍斎
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
名に負ふ大立物たる芝翫しかんさへ、出勤を諾する始末に成行きしを深く歎き、頻りに心を苦しめ居る折柄、我が知らざる間に、今回も亦、源之助・馬十などが、三崎座へ出勤する事になり、是れが為め
市村羽左衛門論 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
芝翫しかんの時に、妾が頂いて参りました」
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
それは明治三十年から三十二年にわたる頃で、その一座は中村芝翫しかん、市村家橘かきつ、沢村訥升とっしょう、先代の沢村訥子とっし尾上おのえ菊四郎、岩井松之助などであった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
劇壇において芝翫しかん彦三郎ひこさぶろう田之助たのすけの名を挙げ得ると共に文学には黙阿弥もくあみ魯文ろぶん柳北りゅうほくの如き才人が現れ、画界には暁斎ぎょうさい芳年よしとしの名がとどろき渡った。境川さかいがわ陣幕じんまくの如き相撲すもうはそのには一人もない。
銀座 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そのときの狂言は、一番目が芝翫しかんの「朝比奈」、中幕が栄三郎の「八重垣姫」、二番目がの柿の木金助。その名題は岡君と相談の上で「金鯱噂高浪こがねのしゃちうわさのたかなみ
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これこそほんとうに昔の錦絵からぬけ出して来たかと思われるような、いかにも役者らしい彼の顔、いかにも型にはまったような彼の姿、それは中村芝翫しかんである。
島原の夢 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これこそほんとうに昔の錦絵から抜け出して来たかと思われるような、いかにも役者らしい彼の顔、いかにも型にはまったような彼の姿、それは中村芝翫しかんである。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その春興行には五世菊五郎きくごろうが出勤する筈であったが、病気で急に欠勤することになって、一座は芝翫しかん(後の歌右衛門うたえもん)、梅幸ばいこう八百蔵やおぞう(後の中車ちゅうしゃ)、松助まつすけ家橘かきつ(後の羽左衛門うざえもん
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)