紫宸殿ししんでん)” の例文
紫宸殿ししんでんに出て来た鬼は貞信公ていしんこう威嚇いかくしたが、その人の威に押されて逃げた例などを思い出して、源氏はしいて強くなろうとした。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
四月二十二日、新帝安徳天皇の即位式が行なわれたが、先年の火災で焼失した大極殿だいごくでんが使えないので、紫宸殿ししんでんが評議の末、式場にあてられた。
大内裏の紫宸殿ししんでんには、聖賢の御障子おんそうじがあるそうだな。聖賢の間にすわったら、聖人賢者のように、頭がよくなるというお禁厭まじないなのか、何なのだ。
わたしが脚本というものに筆を染めた処女作は「紫宸殿ししんでん」という一幕物で、頼政よりまさぬえ退治を主題にした史劇であった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
西側は清涼殿のおもてで、黄いろいすだれが紅のひもで結ばれ、黒瓦くろがわらの下に平行にかかっているのが見られます。南側には紫宸殿ししんでんの後ろ側の板戸がありました。
もちろん橘そのものは『万葉集』以来、王朝の貴人になじみの深いもので、紫宸殿ししんでんの御庭先にも植えられている右近橘うこんのたちばなである。題材としての新しみは何もない。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
帝には還幸の節、いろいろな御心づかいに疲れて、紫宸殿ししんでんの御車寄せのところで水を召し上がったという話までが、景蔵からの便りにはこまごまとしたためてある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
紫宸殿ししんでん清涼殿せいりょうでん御座所ござしょで政治をおとり遊ばされたのを、文武百官は、まことに賢明な天子であると、その仰せをおそれかしこんでお仕え申しあげたものである。
淇園きえん一筆』に、大内おおうち甲子祭きのえねまつりの夜紫宸殿ししんでんの大黒柱に供物を祭り、こと一張で四辻殿林歌の曲を奏す。
これは清和天皇が貞観じょうがん年中に慈覚大師じかくだいし紫宸殿ししんでんに請じて天皇、皇后共に円戒を受けられたという前例がある。法然上人は法統から云えば慈覚大師より九代の法孫に当る。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
満を持してしばらくもたせたが「えい!」という矢声! さながら裂帛! 同時に鷲鳥の嘯くような、鏑の鳴音響き渡ったが、源三位頼政げんざんみよりまさぬえを射つや、鳴笛めいてき紫宸殿ししんでんに充つとある
弓道中祖伝 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
高倉天皇の御脳おもらせたもう折、信濃守遠光朝臣しなののかみとおみつあそんが、紫宸殿ししんでんの庭で鳴弦めいげんをつとめたところ、めでたく御平癒あって嘉賞され、永く「王」の字を家紋とすべき宣旨をくだされた。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
かの京都の紫宸殿ししんでん前の右近うこんたちばな畢竟ひっきょうこの類にほかならない。そしてこんな下等な一小ミカンが前記歴史上のタチバナと同じものであるとする所説は、まったく噴飯ふんぱんものである。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
「これは紫宸殿ししんでんより立派でござりますなア」
空中征服 (新字新仮名) / 賀川豊彦(著)
公卿殿上は、非常の裝ひをして、紫宸殿ししんでんの前庭に“かんなり陣”をしいて、萬一の守備にあたつたといふことである。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
二月の二十幾日に紫宸殿ししんでんの桜の宴があった。玉座の左右に中宮ちゅうぐうと皇太子の御見物の室が設けられた。
源氏物語:08 花宴 (新字新仮名) / 紫式部(著)
一方には、紫宸殿ししんでんでの御対面の式がパアクス以外の二国公使に対して行なわれた。新帝は御袴おんはかまに白の御衣ぎょいで、仏国のロセスとオランダのブロックとに拝謁を許された。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
はて、見たような所と思って見まわすと、紫宸殿ししんでんの広庭にちがいない。けれど「右近うこんノ橘」「左近ノ桜」は見あたらず、そこには一本の大きな常磐木ときわぎだけがそびえていた。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前に東宮の御元服の式を紫宸殿ししんでんであげられた時の派手はでやかさに落とさず、その日官人たちが各階級別々にさずかる饗宴きょうえん仕度したく内蔵寮くらりょう、穀倉院などでするのはつまり公式の仕度で
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)