相生あいおい)” の例文
「ねえこたあねえさ、小旗本へ婿にいった叔父が本所にいるよ」と房二郎が云った、「本所の相生あいおい町で、土屋っていうんだがね」
へちまの木 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
八月二十日 神戸駅前相生あいおい町、三ツ輪亭南店に牛鍋をつゝき、それより泊月、鍋平朝臣、年尾としお、立子、友次郎と共に岡山に矢野蓬矢ほうしを訪ふ。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
二本松・三本松という類の相生あいおいの木が、永く地名となって残るのはもと目的があったからで、その一半は特に将来を期して栽えたものらしい。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そこで角倉は邸を売るに、初午の祭をさせるという条件を附けて売った。今相生あいおい小学校になっている地所である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
波止場はとばからあがって真直まっすぐに行くと、大連の町へ出る。それを真直に行かずに、すぐ左へ折れて長い上屋うわやの影を向うへ、三四町通り越した所に相生あいおいさんの家がある。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
明日はいよいよ主人将監しょうげんが帰るという日、銭形平次はとうとう青い御神籤の曲者——実は久野将監の家来進藤勝之助を本所相生あいおい町の隠れ家に突き止めてしまいました。
毛利小平太もうりこへいだ小商人こあきゅうどやつして、本所ほんじょ二つ相生あいおい町三丁目、ちょうど吉良左兵衛邸きらさひょうえやしきの辻版小屋筋違すじかい前にあたる米屋五兵衛こと、じつは同志の一人前原伊助まえばらいすけの店のために
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
奥様は朝につくり、晩にみがき、透き通るような御顔色の白過ぎて少許すこしあおく見えるのを、頬の辺へはほんのり紅をして、身のたけにあまる程の黒髪は相生あいおい町のおせんさんに結わせ
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
犬は三日飼うと三年恩を忘れないというが、犬は好きで十二、三歳頃、本所相生あいおい町の経師きょうじ屋の伯父の家に奉公している時分に、雑種の犬を一匹拾ってきて伯父に叱られたことがある。
(新字新仮名) / 三遊亭金馬(著)
もどかど歌川うたがわかじを着けさせ俊雄が受けたる酒盃さかずきを小春にがせておむつまじいとおくびよりやすい世辞この手とこの手とこう合わせて相生あいおいの松ソレと突きやったる出雲殿いずもどのの代理心得、間
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
日が暮れたら、木賃宿きちんやどでも捜すつもりだったが、ふと町角の貼り紙に「職業を求める方はお出で下さい」とあるのを見つけ、探して行くと、相生あいおい町二丁目の裏通りに、その家があった。
東京では向島むこうじま吾妻あずま神社の脇にある相生あいおいの楠もその一つで、根本から四尺ほどの所が二股ふたまたに分れていますが、始めは二本の木であったものと思われます。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その風呂屋は、道場からさして遠くない相生あいおい町にあり、新八は九月下旬から、もう五たびもかよって来ていた。
苗字みょうじ帯刀を許されて、将軍家お金御用達を勤むる相生あいおい総左衛門、最早六十左右の老体ですが、今年取って十九歳の、桜子というのがたった一粒種、本当にかんざしの花も、掌中の珠も及ばず
その家は東両国の橋詰で、相生あいおい町の河岸かしにあり、裏は隅田川に面していた。それは「丸梅」の源次郎が指定した家で、おもてむきは踊りと長唄の稽古所となっている。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しからば国土の開発以来、この民族と相生あいおいに今も伝わっている山野の草木はどうあるか。
「本所相生あいおい町の裏長屋で」