武州ぶしゅう)” の例文
各地の鹿島踊歌のうち、武州ぶしゅう小河内のものには紛乱ふんらんがあり、全くちがったコキリコ踊とつながって、もう意味が取れなくなっている。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
武州ぶしゅう高尾たかおみねから、京は鞍馬山くらまやま僧正谷そうじょうがたにまで、たッた半日でとんでかえったおもしろい旅のあじを、竹童ちくどうはとても忘れることができない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江戸開城かいじょうの後、予は骸骨がいこつい、しばらく先生とたもとわかち、あと武州ぶしゅう府中ふちゅうの辺にけ居るに、先生は間断かんだんなく慰問いもんせられたり。
「御失念では痛み入る。それ、武州ぶしゅう府中ふちゅう六所明神ろくしょみょうじん暗闇祭くらやみまつりの夜、我等の仲間が大恥辱を取ったことについて」
怪異暗闇祭 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
これが、御老中お声掛り武州ぶしゅう清久きよくの人戸崎熊太郎、当時俗に駿河台の老先生と呼ばれていた大師匠について神道無念流の奥儀をきわめたのだからたまらない。
特徴というのはほかでもない。試衛館が、江戸にありながら、実質上は武州ぶしゅう多摩たま郡一帯の、身分からいって「農」を代表する、農村支配層の上に築かれていた点である。
新撰組 (新字新仮名) / 服部之総(著)
清水は昨夜から待て居るので万事の都合よろしく、その船宿に二晩ひそかとまって、れから清水の故郷武州ぶしゅう埼玉ごおり羽生村はにゅうむらまで二人を連れて来て、其処そこも何だか気味が悪いとうので
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
そうするとまたそろそろと勇気いきおいが出て来て、家を出てから一里足らずは笛吹川の川添かわぞいを上って、それから右手の嶺通みねどおりの腰をだんだんと「なぞえ」に上りきれば、そこが甲州武州ぶしゅうの境で
雁坂越 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
隠してしまう。武州ぶしゅう常州じょうしゅうあたりでもやはり四月から七月と言っている
怪異考 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それで俺も武州ぶしゅうの方へ出るから、途中まで付き合ってくれねえか
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
武州ぶしゅう荏原郡えばらごおり荏原村。円光山えんこうざん満行寺まんぎょうじ住職釈良乗しゃくりょうじょう書。
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
余事よじではございませんが、毎年、武田家たけだけ行事ぎょうじとして行われてまいりましたところの、武州ぶしゅう御岳みたけにおける兵法大講会へいほうだいこうえ試合しあい
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武州ぶしゅう比企郡高坂村大字岩殿いわどのの岩殿観音の寺伝に曰く、坂上将軍東征の時、この御堂おどうの前に通夜し悪龍を射斃いたおしたことがある。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
造営総奉行の一人に、松下右衛門太夫まつしたうえもんだゆう源政綱みなもとのまさつなという、これは、武州ぶしゅう川越の城主でしたが。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
応援おうえんとして若ざむらい百二十人をそえ、示威じいどうどうとして、足柄裏街道あしがらうらかいどうから甲州路こうしゅうじをぬけて、武州ぶしゅう御岳みたけ参加さんかすることになった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『してみれば、山越えして、奥多摩おくたまから武州ぶしゅうへ出るなんて、嶮岨けんそな道をとって、しかも廻り道したりするよりは、江戸表へ寄らずに、真っ直に京都へ出てしまおうじゃないか』
夏虫行燈 (新字新仮名) / 吉川英治(著)