東海道とうかいどう)” の例文
「アアもし、けっして、そんな者ではございません。わたくしは、たびたび東海道とうかいどうへもきております、伊吹村いぶきむら独楽こままわしです」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで諭吉ゆきちは、ま夜中よなかの十二ごろに江戸えどをでて、よる東海道とうかいどうをあるいて、夜明よあけごろに横浜よこはまにつきました。さっそく海岸かいがんのほうへいってみました。
前者ぜんしやれい大正十二年たいしようじゆうにねん關東大地震かんとうだいぢしんあるひ安政元年あんせいがんねん十一月四日じゆういちがつよつかおよ同五日どういつか東海道とうかいどう南海道大地震なんかいどうだいぢしんとうであつて、後者こうしやれいとしては明治二十九年めいじにじゆうくねん六月十五日ろくがつじゆうごにち三陸大津浪さんりくおほつなみげることが出來できる。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
ことに臺地だいちはしだとか、斷崖だんがい場所ばしよ十數尺じゆうすうしやくあつさにおよんでゐるものさへあります。また貝塚かひづか東京附近とうきようふきんから東海道とうかいどう山陽道さんようどう九州きゆうしゆうそのうみちか地方ちほうには、日本國中につぽんこくじゆういたところ發見はつけんせられます。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
炎天えんてん東海道とうかいどうを西へ馳す。
哀音 (新字旧仮名) / 末吉安持(著)
東海道とうかいどう三島みしま宿しゅく
丹那山の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
それでも源次郎は謙遜無口で、よく大九郎のめんどうをみたり、才蔵に槍の教えをうけたりしながら、順路じゅんろ東海道とうかいどうたびをはかどっていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いっしょにつれていってくれともうしでましたので、三にん東海道とうかいどうをあるいて、江戸えどへむかいました。
ああまだ東海道とうかいどうへはへだてがある。なお浜松はままつ三方みかたはらにはがある。覚悟かくごのとおり、あの三騎は、とちゅうでいてしまいはせぬだろうか。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まるで、大名だいみょう東海道とうかいどうをとおって、宿屋やどやにとまるときとおなじような用意よういをしたわけでした。