)” の例文
そこでこの心持ちが作の上にはどう現れているかと云うと、実に骨にり、肉を刻むという有様で、非常な苦労で殆ど油汗をしぼる。
予が半生の懺悔 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
自分すら忘れきった、彼の人の出来あがらぬ心に、骨にみ、干からびた髄の心までも、唯りつけられたようになって、残っているのである。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
墓は正方形に近く、やや横の広い面の石に、上下二段に許多あまたの戒名がり附けてあって、下にはおのおの命日が註してある。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
と今は肩過ぎしわが黒髪のそのころはまだふっさりと額ぎわまでり下げしをかいなでかいなでしたまいし事も記憶の底深くりて思い出ぬ日はあらざりき。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
主人あるじはいとど不憫ふびんさに、その死骸なきがらひつぎに納め、家の裏なる小山の蔭に、これをうずめて石を置き、月丸の名も共にり付けて、かたばかりの比翼塚、あと懇切ねんごろにぞとぶらひける。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
まずこの思いをふかく心にりつけて、われわれの幼児おさなごをみることができる人は、真に彼らを愛し得るに近い人、したがって導き得るに近い人ではないかと思われます。
おさなご (新字新仮名) / 羽仁もと子(著)
私の心に御好意はりつけられておりますから、これきり疎遠にいたしますようなことは決してないと思われますし、またごいっしょに暮らさせていただく日の参りますことも信じておりますが
源氏物語:19 薄雲 (新字新仮名) / 紫式部(著)
この二つの法諡はいずれも石にられなかった。抽斎の墓には海保漁村の文を刻した碑が立てられ、また五百の遺骸は抽斎の墓穴ぼけつに合葬せられたからである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その一には「性如院宗是日体信士、庚申こうしん元文げんぶん五年閏七月十七日」と、向って右のかたわらってある。抽斎の高祖父輔之ほしである。中央に「得寿院量遠日妙信士、天保八酉年十月廿六日」
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
五百いおは女中に書状を持たせて、ほど近い質屋へった。即ち市野迷庵の跡の家である。の今に至るまで石にられずにある松崎慊堂こうどうの文にいう如く、迷庵は柳原の店で亡くなった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
これのみはあまりに深くわが心にりつけられたればさはあらじと思えど、今宵こよいはあたりに人もなし、房奴ぼうどの来て電気線のかぎをひねるにはなおほどもあるべければ、いで、その概略を文につづりてみん。
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)